露・土・印 旅日記


 ・12月5日(水) アウランガーバード 1日目 インドの魅力とは何ぞや?

 やはりというか、列車内も明け方はかなり寒かった。インド、朝晩は寒いってとこが多いなあ。一応、これでも冬ってわけですかな。長袖着て布をかけて寝たのだけど、まだ寒かった。でもバスに較べそこそこは眠れたのだけど、明け方頃、ドドドと一群が乗りこんできて起された。見ると、いかにも貧乏そうで汚い。インドの列車、チェックが甘くて無賃乗車バンバン可らしいけど、こいつらもその手合いではないか?こうなるとセキュリティ面が不安。こういう闖入者がいない分、やっぱりバスが無難かなあって気も。6時過ぎたので用意。遅れるかと思いきや、ほぼ定刻でアウランガーバード着。もっともアナウンスも何もないから気をつけてないと乗り越しかねない。シベリア鉄道みたいに車掌が起してくれるわけじゃないし。たまたま下の人も降りるのでわかったのだけど。

 例によって寄って来るリクシャの連中等を無視して、目指す宿へ。駅から2分って書いてあったけど、5分はあったな。おまけに、またしても24時間制。そこへ行くまでにも2軒程宿があったけど、敢えてそこにしたのは、「歩き方」読者割引があるらしいから。しかし、宿代は1泊150Rsと記述より高いし、割引なんかなし。どうもインド篇に関しては、「歩き方」かなり頼りにならない。宿情報は、主要都市以外は、ほとんど1,2通の読者投稿に頼ってる。読者のちとアヤフヤな記述が全てで、独自取材はしてない感じ。地図なんかも違うところがいくつかあったし。インドはでか過ぎて取材が行き届かないのか。実は編集スタッフがインド嫌いだったりして(笑)。

 とまれ、明日7時チェックアウトではたまらんので、また荷物を預けてブラブラ。とりあえず、ツアーの予約ができなかとMTDC(インド政府?観光局)のあるホテルへ。ここにはエローラ、アジャンタの石窟院を見るために来たのだけど、ハッキリ言って、そう興味津々ってわけでもないので、お手軽にツアーで済ませてしまおうという寸法だ。可能なら今日エローラ、明日アジャンタを見て、夜行バスでムンバイへと行きたい。観光地はそれでいいでしょ。ま、とにかく、ホテル内の代理店で、本日9時半初エローラ&市内見学ツアーを申し込む。「歩き方」では115Rsとなってたけど、140Rsでありました。駅前の軽食堂で朝食。無難にトマト・オムレツ。やはりココナツ・ソースとダールつき。明日のアジャンタ・ツアーは8時なので、どうせ8時前にチェックアウトだからということで宿に行ってチェックイン。時間まで横になる。

 9時半に予約した宿へ行くと、日本人っぽい女性一人、更にコリアンらしいおじさん、太った白人、そしてお馴染みインディアンズが乗りこんできて総勢14名。何と、感動したことに英語ガイドつき。さすが観光地ではある。まずは12世紀に築かれた砦ダウラターバードへ。エローラ等の陰に隠れがちだが、ここもスケール的にはなかなかのところではある。岩山をそのまんま砦にした感じで、周囲には塔やらミナールやら貯水池やらもある。砦の頂上に登るのは1時間位かかるとのこと。顔ぶれは年寄り多いし、インドの金持ち?の奥さんは、バスのステップ登るのも難渋する位デブデブって人がいるから、まあ登らないのだろうと思ったら、案の定。しかしなあ、一方で骨皮筋エモン系の人が路上に溢れかえってるのに、この人は普段歩くことがないんかあみたいな人もいる。インドってのは極端なとこでんなあ、つくづく。余談ながら、ターバン巻きパパを中心とするシィク教一家がいて、そこの娘さんが今までインドで見た中ではトップクラスの美女。遺跡よりも彼女のお顔を眺めてることが多かったり(笑)。

 次がメインのエローラ石窟。全部で34窟あるそうだけど、ツアーは端折って、仏教、ヒンドゥ教、ジャイナ教それぞれの一番いいところのみを回る。まあ僕としても、その位で充分であります。まずは仏教篇。インドでは、仏教はヒンドゥに飲みこまれちゃった感じで陰は薄いのだけど、ここの石窟はそれなりに見応えがある。お馴染みお釈迦様系の仏像が、石窟内に多数(右画像)。やはり仏教徒としては、ここはじっくりとと思うのだけど、スローペースなはずのインディアンさん方、ここに関しては歩みが早い。やっぱり仏教は埒外ってことなのでしょうか。

 で、メインといえるヒンドゥ篇。一番大きな第16窟カイラーサナータ寺院へ。ガイドさんの説明によれば、ここは世界一の大きさを誇る寺院とのこと(左画像)。でもさあ、あれ厳密に寺院なのかわかんないけど、やっぱアンコール・ワットの方がでかいよ。こちらもマハーバーラタやラーマーヤナの物語が壁に彫られているのだけど、その緻密さの点でもやっぱりアンコールに軍配あり。そも、インドって意外にメジャーな遺跡って多くないのでは?何気に通り過ぎてしまったけど、バンガロールからハイダラーバードへの途中に、ハンピとか世界遺産指定の遺跡あったそうな。しかし後はと言えば、カジュラーホーにサーンチー。タジ・マハルとここを見ればオッケーって感じでは。インダス文明のものは主にパキスタンだし。遺跡の豊富なトルコに関しては、世界遺産指定のとこは全て制覇したけど、インドはいくつ位あるんでしょ?どうもインドは遺跡見物より、都市でブラブラのイメージだなあ。パッカーたちもあんまり観光してないんじゃなかろか?その国土の大きさに比していえば、それ程観光的な見所は多くない気が。これは、僕がインドを知らないだけでせうか?とまれ、最後はジャイナ教篇。像は仏教のものに似ているが、特徴と言えるのは、なぜか皆オチンチンつきである点であります(右画像)。

 そうなると、ますます、インドの魅力って一体何なの?ってことになる。先程いた女性はやはり日本人で、既にアーグラー等をまわってきたそうな。久方ぶりに会った日本人ということで、前々からインドを旅する日本人旅行者に聞いてみたかった、前記の素朴な質問をぶつけてみる。まだ“インドに呼ばれていない”うちに訪れてしまった僕としては、どーもインドってわからない。どうしてかくも旅行者に人気があり、パッカーの登竜門のように言われ、数多の沈没者や傾倒者を生み、インドは特別であるかのように語られるのか?イスタンブールのコンヤ・ペンションで会ったベテラン・パッカーも“インドは時の流れが違う”と述べていたけど、それって単に電車やバスの運行が正確でないとか、インド人の動作がトロイって以外に、何か特別な空気があるという意味なのか?僕自身で言えば、腹壊したりはしたけど、今のとこ、そうイヤな思いはしてないし、インド人、人はそう悪くないし、カレーはうまいし、とりたててインドは嫌いではない。でも、好きかと言われると微妙。インド人濃いから顔見てるだけで疲れるし、1ヶ月いて、未だ、トルコはよかったなあなんて思っちゃうもの。とにかく、この、不衛生でバッチくて、いつ腹を壊すかとビクビクしながら食事をせねばならない国に、なぜ世界中から多くの人が訪れるのか?ピンとこない僕としては、是非とも尋ねてみたかったのだ。

 で、彼女がインドを訪れた理由はと言えば、タジ・マハルが見てみたかったということだそうな。そのためにヒンドゥ教等も勉強されたとか。個人的にヒンドゥ教寺院にあまり興味がわかないのは宗教臭いのが苦手という以上に、あのガネーシャとかシヴァとかの趣味の悪さについていけないってのもある。全く信心深い人間じゃないのだけど、やっぱり仏教の大仏様の方が見ていて落ち着くね。ヒンドゥの神様、この前観た訳のわからない映画と同じような印象だ。ともあれ、彼女もインドを特別な国とは思わないとのこと。もう一度来たいかというとそうでもないし、別にインドの精神性がどうこうとか、古典音楽に惹かれたとか、そういうのはないらしい。ただ、インドに来て人生観が変わったという。オっそれは?と思いきや、“人が信用出来なくなった”(苦笑)とか。ウ〜ン、ポジティヴな意味合いで人生が変わった人たちは、何故だったのであろう。少なくとも、今んとこ僕の人生観(なんて、大げさなものを持ち合わせていればだが)は、何ら変化や影響を受けてはいない。まあしかし、この余りに素朴であからさまな質問は、彼女を少々不快にさせてしまったようで、申し訳なかった。でも、これから日本人旅行者に会う毎に同じ質問を発してしまいそうだなあ。“インドの魅力って一体何なの?”って。

 さてランチタイムを挟んで市内観光篇。タジ・マハルを模したビービー・カ・マクバラーだの、何が見所なのかよくわからないパーンチャッキー等をまわる。しかし、このツアー、入場料は含まれておらず、その都度金がかかる。これまた「歩き方」のハズシなのだけど、掲載されているのが、インド・ジモティ料金であり、外国人はその50倍近く取られるのだ。今日は金使ったぞー。さすがに偽タジ・マハルは100Rsも払って入る気にはなれなかった。ただガイドの兄さん、なぜか日本語が話せて色々聞けた。ここらはマラティ語を話すらしいけど、ゴアのマラティとはまた違うらしい。アウランガーバードとか何々バードという地名の所は元々イスラム・エリアで、ジョードプルとか何々プルのとこはヒンドゥ・エリアだとか。あのインド人特有の首フニャフニャのニュアンスも聞く。まあオッケーって感じらしい。彼は来年日本に行って仕事を捜すんだとか。意外や日本、憧れの地であったりするわけか。金はかかるよ〜、楽じゃないよ〜って言いたいけど。

 結局、明日のアジャンタ・ツアーも同じとこで申し込む。代理店のとこで降ろされたので、ガイドの兄さんのバイクに乗せてもらって宿へ。 昼間から気になってたのだけど、ちょっと喉の具合がおかしい。夜行で寒かった上に、ロクに寝ないでツアーと、まあやや無理はしてるけど。それでも日中の暑さ故ビールは飲まずにゃいらんない。冷たい水シャワーの後、屋外レストランみたいなとこで、チャウメンとカジュラーホー。ネットは明日にするとして、宿へ戻ろうとするが、途中の露店で生姜発見。風邪に備えて買う。ついでにパパイヤも買わされる。部屋で日記書きつ、生姜入りの日本茶を飲むが、ありゃありゃ、風邪の症状が進みつつあるような気が。勘弁してよねー、こんな時に。インドも1ヶ月経過で休み時かなあ、ペースあげて行こうかと思ったのに。おまけに、おいおい宿に泊まってるインド人学生たち、12時過ぎなのに騒いでるぞい。たまには安らかなる眠りを与えてくれい、インディアンズよ。
本日の出費:朝食16Rs 宿代150Rs エローラ・ツアー140Rs コーク18Rs ヤフー(ジュース)6Rs エローラ入場料250Rs
砦入場料100Rs 昼食50Rs バナナ2Rs 夕食120Rs 生姜+パパイヤ25Rs 計1047Rs




 ・12月6日(木) アウランガーバード 2日目 寝たきりの1日
 う〜ん、ダメだ、こりゃ。完全に扁桃腺が腫れてしまった。旅に出て以来、何だかんだ本格的な風邪には見舞われてなかったのだけど、とうとうきた。寄りにも寄って、一番風邪なぞひきたかないインドでだ。昨日の水シャワーとビールがまずかったなあ。さて、アジャンタ・ツアーが問題だ。8時に宿前にバスが来たので、体調が悪いから明日に変更させてくれというが、マネージャーと話せという。それでITDCまで行き、電話でマネージャーと交渉。結果、明日のツアーが履行されるならオッケーだが、無ければ諦めということに。アジャンタ見れないんじゃないかなあ、結局。無理して今日行こうかとも思ったが、悪化させてはなんなので、やはり今日は大事を取ることに。当然、宿も延泊。バスチケット購入も白紙だ。まあボンベイには日曜までに着ければとは思ってるので。寝こむなら宿代の高いボンベイより、こっちの方がいい。ただ、そもそも手持ちのルピーがそこを尽きつつあって、ボンベイのシティでおろさねばという事情もある。でも、また夜行で体調崩しては元も子もない。ホント、インドはでかいもんだから、夜行夜行の移動にならざるを得ず、無理をするとこういうことになる。厄介なもんだねえ。

 とにかく寝であります。長袖ものを全部着込んで、布とエマージェンシー・ブランケットをかけて。毛布とかが欲しいなあ。インドでこんな厚着をすることになるとわなあ。外では、何やらブラスバンドみたいのが練習してるみたいだが、まあ許容範囲内。ところが、しばらくすると、ガキどもが部屋の前で何やらボール遊びを始めた。全く、インド人って連中は。薬を飲むのに食事を取らねばと、宿の食堂でカレー。安いし悪くない。日記を書いて再び寝るが、相変わらずガキの遊びは続いていて、しかもエクサイトしてきた。たまりかねて、“オレ風邪引いて寝てんだから、他のとこでやってくれ”と言うと、“ソーリー”と言って大人しく去っていった。悪い連中ではないようだ。しばしの平穏。

 眠ってはいないが、ひたすら伏している。6時過ぎに起き出して、まずはネットへ。バンガロール以来、画像ファイルが送信できず、たまりにたまっている。しかし、ITDCの向かいにある店、1時間60Rsと高い上に遅い。FTP転送も途中で途切れ、ほとんど役立たず。NFLサイト見て、30分で切り上げ。ひとまず豆カレーの食事を取った後、もう少し先にあるもう1軒へ。そこは1時間20Rsと安かったが、途中で通信が途切れる。アウランガーバードは通信環境バツです。っつーか、意外とインド、通信ダメだぞ。全く問題無かったのはボンベイのみ。後は何かしらうまくいってない。これで、早くボンベイへ行かねばならない、もう一つの理由ができた。

 宿へ戻ると、何やら大きなテントが張られて派手な飾り付けが。ひょっとして何かの祭?他の国であれば、偶然祭に遭遇するというのは千載一遇のチャンスと喜ぶところ。しかし、インドは違う。ディワーリーでも思い知ったけど、連中の騒ぎ方、半端じゃないのだ。ただでさえノイジーなのに加え、カーストやら貧困やらで普段鬱憤がたまっているのか、祭とかになると、一気に爆発する。爆竹好きは中国人以上かも知れない。明日のために平穏な睡眠を取りたい旅行者にしてみれば、インドの祭なんて悪夢以外の何物でもない。案の定、昼間演奏していたブラバンが9時頃から演奏を始めた。騒ぎは続くんだろうな。インドってのは健康で若くないと辛い国だね。明日はとりあえずチェックアウトはして、もしアジャンタ・ツアーが履行されるなら、ITDCで夜行バスのチケットも買ってしまおう。体調は万全ではないが、明日の回復を信じよう。やれやれ。

本日の出費:宿代150Rs 水10Rs 昼食34Rs ネット35Rs 夕食46Rs サムズアップ12Rs コイン交換△5Rs 計282Rs



 ・12月7日(金) アウランガーバード 3日目 囚人さんとランデヴー
 昨晩はやっぱり賑やかだった。バンドみたいなのの演奏は10時に終わったが、その後、若人が盛りあがりだし大合唱していた。バンド演奏も復活したりして。そんな調子でも何時の間にか寝てしまったのは、さすがに眠かったのだろう。さて7時に目覚めるが、体調万全ってわけではない。とにかく荷物をもとめてチェックアウトし、荷物を預け、ITDCのオフィスがある宿へ早めに向う。幸いにもツアーは履行され、参加できることに。アジャンタ石窟見物の目的は無事果たせそうだ。本日の参加者はインド人ばかり8名程。これじゃガイドさんもヒンディ語かなと思いきや、英語であった。ブラボー。運転手さんも一昨日乗っていた人で、“よくなったか?”と声をかけてくれる。9時ちょいに、ようやくアジャンタへ向けて出発。

 揺られること2時間ちょい。休んでいられたのは、ありがたかった。渓谷の断崖に刻まれたアジャンタ石窟院は、全長1km位の範囲に及ぶ(画像右)。入場料はジモティ5Rsで、外国人はまたしても、その50倍の料金。28の石窟があるが、ツアーはだいぶ端折って、1、2、9、10、16、17、19、26程度を見てまわる。まあ未完成のものや、さいて見所が無いところも多いので、これはこれでよしとするか。一つ一つにガイドさんの詳細な解説がつくのはいいが、写真を撮る時間を残してくれるのかと思いきや、すぐに次に移動。主要な石窟はフラッシュ使用禁止なので、皆写真が撮りたくても撮れないってことで、とばしてしまうよう。でも、こちらはデジカメなので、フラッシュなしの設定が可。精度は今イチだが、撮れないこともない。で、ガイドさんの説明もそこそこに撮影に精を出すように。

 エローラが仏像、彫刻なのに対し、こちらは壁画がウリであります。やはり見所は第1窟だろうか。壁画の保存状態が一番いい(画像左)し、奥には仏像さんも在している。やっぱり、あのヴァイオレンスでけばいガネーシャやシヴァより、仏像の方が見ていても全然落ち着くねってのは、前にも書いたかな?不信神者が俄かに仏教贔屓と化しております。「歩き方」には、照明をめぐって番人が煩わしいみたいなこと書いてあったが、ライト・チケットはガイドさんがまとめて買ったので、その辺は特にトラブルなし。バクシーシも要求されなかった。第9窟はストゥーパになっている。そこで、突如、僕の名を呼ぶ声が。見ると、一昨日のガイドさん(名を失念)だった。今日はムンバイの高校生たちを率いてのガイドだそうな。やはり体調を気遣ってくれる。19窟まで見たところで、後は自由行動とばかりにガイドさん、行ってしまう。ランチ時間込みで2時半集合ってことで。ちょうどよいので、写真を取り逃がした第1窟へ戻って再入場。特に咎められたりはしなかった。


やっぱ、仏像さんは見ていて落ち着くではないですか。何かと騒々しいインドでは尚更。これは第26窟のもの

 石窟の入口にある食堂へ行くと、一昨日のガイドさん、今日のガイドさんらもいたので、一緒にターリーを食べる。もう一人別のガイドさんも日本語を勉強中で、会話は日本語で交わされる。一昨日のガイドさんは、来年には日本に行って仕事を捜すつもりだそうな。仕事を世話してくれみたいなことを言われるかと思いきや、そういうことは一切なし。今晩、バスでムンバイへ向かうと言うと、電車もあるから電車の方がいいと教えてくれたり、ホントに下心無く、ジェントルでいい人だった。ルックスもかっこよくてボリウッド・スターみたいな人。おまけに、英語、日本語、インドの言葉が5種話せるという。アドレスの交換位しておけば何か役に立てたかも知れなかったのになあ。“日本ニモ汚イ所ハアリマスカ?”と聞かれたので、“ありますよ、カブキ町とか”と言っておくが、汚いの意味合いがちと違うか。インド人も、やっぱり汚いのは気にはしてるんだね。とまれ、無事、アウランガーバードへ来た目的は果たせた。バスは駅近くまで行ったので、そこで降ろしてもらい、切符購入にチャレンジ。

 時刻表では9時半発の5時半着で、到着時間が早過ぎるからバスでってつもりだったのだけど、実際の出発時刻は23時半だった。それならちょうどいい。おまけに電車の寝台料金の方が、一番安いバスよりも安い。ただ果たして今日の今日で買えるんかいなと思ったら、アッサリ買えてしまった。さて、まだ6時。後は如何にして時間をつぶすか。

 町に唯一?ある映画館は、インド映画ではなく、ジェット・リーの「キス・オブ・ドラゴン」をやってる。日本人がカンフー映画なぞ見に行くと笑われそうでいやだったが、時間もちょうどよかったので、寝るつもりで入る。この映画、ジェット・リー原作、製作なのに加え、驚いたことに、共同製作、脚本にリュック・ベッソンが絡んでいる。だから舞台もパリ。ヒロスエの「ワサビ」といい、ベッソン、アジアづいてるみたい。しかし、ヒンディ語吹替えヴァージョン。補助公用語なんだから英語のままやれっての。何だかんだ最後まで見てしまうが、まあフツーのアクションものだった。昨日の2軒とは別のネットカフェへ。しかし、ここもFTP転送果たせず。やはり、ムンバイでやるよりないか。9時半頃、荷物を預けた宿へ戻る。

 また何やらパーチーをやってる。時間が遅いから食事はどうかと思ったが、しっかりチャナ・マサラを作ってくれた。この宿、愛想はそうよくないが、いつでも食事ができて安いし味もまずまず。荷物も結局11時近くまで預かってもらったし、トイレも使い放題。ツーリスツ・ホーム、感謝感激でありました。やはりムンバイへ向かうらしい、高校生たちの一群に次いで駅へ。高校生たちを見送る宿の兄ちゃんもついてくる。昨日今日のパーチーは、結婚式だったらしい。インド人、結婚式はかなり盛大にやるみたい。何やかや騒ぐのが好きな人達ではある。宿の兄ちゃんはまだ15歳位だろうが、もう学校はやめて宿に住み込み。如何にも都会ッ子といった感じのムンバイの高校生たちを見送りつ、兄ちゃんは少し寂しげだった。電車は15分遅れで到着。僕も無事寝台車に乗りこむ。

 高校生達は2等だったらしい。僕の番号のベッドへ行くと、何やら車掌みたいなおっさんが立っていて、別のとこへ行けみたいなことを言う。何でじゃい!?とあくまで抵抗し、オレはヒンディ語ばぞわからんから、わかる言葉で然るべき説明がない限り動かんと今日はあくまで強気で、一番上の寝台に荷物を積み込んでしまう。もう一人、色黒目のパッカーがいて、彼が横の寝台へ。して、先程のおっさん諦めたらしいが、何やら同じ制服を着たおっさんたちがゾロゾロ来て、下の席を7、8人で陣取る。その制服のおっさんに挟まれて座っている3人のインド人、何と、手錠で繋がれているではないか!よく見れば制服のおじさんたち、警官であった。寄りによって囚人護送と同じ寝台にあたってしまったってわけか。忍術?を習ってるというイスラエル人パッカーともども、とんでもねーことになったなあと顔を見合わせる。もし、あの囚人が反乱を開始したら、オレは人質に取られるのかな?なんてことを考えつつ、そそくさと寝の態勢へ。

 しかし、当然警官たちは囚人たちを監視せにゃならんので、僕らのとこだけ電気つけっぱなし。おまけにずっと起きてるわけだから、警官たち、ずっと話してる。ただまあ、それでも寝る気になれば寝れたろうけど、この日は鼻水が出て鼻がつまって眠れない(苦笑)。イスラエル人はものの数分で寝息をたててる。パッカーたるもの、こうでなくちゃねえ。明け方頃には警官たちも寝てたみたいだなあ。でもまあ、下に警官がいるわけだから、途中で無賃乗車組が乗りこんできても、セキュリティ面は安心っちゃ安心か。まあ束の間の囚人とのランデヴー、話のタネ的にはよいかもなあなぞと思いつ、眠りに落ちたのでありました、と書きたいとこだけど、例によって朝までほとんど眠れまへんでしたあ。厚着してたから、まあ寒さはしのげたけども。結局、明日もムンバイの宿で半日寝ですな・・・
本日の出費:アジャンタ入場料250Rs 昼食65Rs ネット25Rs ビスケット10Rs 夕食39Rs
ムンバイ行き列車切符代167Rs 映画25Rs 水10Rs トイレ2Rs 計593Rs


→ 戻ってまいります ムンバイ(ボンベイ) へ

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