露・土・印 旅日記

 ・10月14日(土) カルス → ドーバヤズット イラン心配?

 次の目的地ドーバヤズットへのバスは、直行ではなく乗換えが必要。その乗換バスは3時までってことなので、乗り逃がさないよう、朝食も取らず、急ぎ出る。宿のじいさんに“オトガルへのバスは?”と聞くと、“セルヴィスじゃ”と言って、並びのバス会社まで連れてってくれた。無愛想だけど意外に親切。実は、バスは別に切符買わなくてもセルヴィスを利用できるのだった。オトガルでウードゥル行きは10時といい具合。朝食を取る余裕もあり。カフェテリアにはベッチャンコ・トーストしかなかったけど。

 しかしまたこのバスが定刻には出ない。東部に来てからこの調子だね。例によってサービス無しミニバス。10時半に発車。ガイドに書かれていた程、風景は特筆すべきものではなかった。3時間でウードゥル着。でもオトガルではない。運転手にオトガルの場所を聞いて歩くが、途中でもう一回聞くと、“ドーバヤズットに行くならオトガルじゃなくて、あそこだ”と言われ、指差されたのは小さなバス会社の前に停まっているミニバス。しかしバカ荷物を持っているとミニバスは辛いね。ギュウ詰めで揺られ、1時間程で到着。降りるなり代理店の兄ちゃんに声をかけられるが、まずは宿、宿。

 ここも降ろされたのはオトガルの反対側のとこで、目的の宿までしばし歩く。日本語看板なぞがあったエルズルム・ホテルは避け、隣のサルハンへ。シングル部屋は3ミリオンながら、電源が無い。オレは電気が必要だというと、4ミリオンのダブル部屋へ。でも3にねぎれた。宿代最安値っす。さて、まだ3時前と時間タップリ。ヒマなので、さっき声をかけられた代理店へ行き、ツアーの説明を受ける。内容は豊富ながら、60ドルの高さ。シーズンオフ故らしい。ただ兄ちゃんは英語がうまく、それなりに説得力もあり。ただ、宿のツアーと内容等を比較する必要ありなので、宿へ。英語が話せる宿のオウナーの息子が帰っていた。こちらは、代理店のツアーから温泉を抜いて55ドル。しかし僕には温泉は欠かせないわけで、加えるとね80位とか。ねぎって70になるも、もう一回代理店行って比較するとか言うと、59ドルにする!と言うのでOK。途中ではタクシーの運ちゃんに呼びとめられ、30ミリオンで主要どころをまわると言われたが、やはり英語ガイドも欲しいのでツアーに決める。しかし、今日は奢りチャイばかりで7、8杯飲んだぞ。

   することが無いので、フロントでまたぞろ日本人旅行者の情報ノートを読む。ホント、ジャポンはマメですが、ここのは割とインフォメーションに徹していて、好感が持てた。隣のエルズルム・ホテルのオヤジはすごいセクハラ野郎らしい。夜中に押し入られたとかいう女性がゾロゾロ!何故そんなに飢えておるのか?ちょっと面を見てみたい気も。インドやイランの「歩き方」が置いてあり、インドのを買いたいと言ったら、くれた!これも、ここのツアーに決めた理由の一つだ。先客に日本人夫妻あり。ダンナさんは下痢、奥さんは足を挫いてるということで、しばし足止め状態ながら、回復次第イランへ向うという。他の白人客数人もやはりイランへとか。この時点ではイラン行きなんて考えてなかったのだが・・・

 フロントでしばし話すうち、そのマツタニさん夫妻と一緒に食事に出ることになる。そも、ツーリストに会ったのはトラブゾン以来だ。サチタワがある店へ。チョルバとチキン・シシも頼む。マツタニさんは、大学、社会人でアメフトをされていたそうで、しばしアメフト話で盛りあがる。香港にしばらく在住した後、今は4、5ヶ月旅をされていて、この後は日本へ戻るという。しかし、食堂のテレビのニュースで見た、イスタンブールでの暴動騒ぎ(反米?警官3人死亡)にはたまげたが。食後も部屋でしばし話す。画像を保存したいとのことで、僕のCD−RドライブでRを焼いてさしあげ、代わりにというか、夕食はご馳走になってしまった。持参のワイン等を飲みつ談笑。ダンナさんは、なかなか確固たる考えの持ち主で、アメリカが今の力無きタリバンを攻撃することには、断固反対の姿勢だ。例のテロにも、ラディンが本当に絡んでいる可能性は5分5分だろうと仰る。曰く、“山口組の組長も末端の動きまでは把握できない”とのこと。もっとも、末端ではあれだけの規模の行動は取れないとは思うけど。でも、彼の弁にも一理はあると思う。話しこんでいて12時近く。日記は書かずに床につく。
本日の出費:宿代600万L 朝食150万L ウードゥル行きバス500万L ドーバヤズット行きバス150万L ポテトチップ60万L ツアー前金2000万L 昼食200万L 計3660万L



 ・10月15日(月) ドーバヤズット 2日目 究極の悪天候にあららっと・・・

 寒いけど張りきって7時半起き。近くのロカンタで、メッチャ濃いイシュケンベがあり頼むも、濃すぎて少し残した。9時になって、さあ出発かと思いきや、宿の兄ちゃん寝てる(笑、えない!)。叩き起こしてツアーへ。しかし、別のオフィスでまたしばし待ち、実質の出発は10時。その兄ちゃんではなく、もう少し英語のうまい運転手がガイドも兼ねる。まずは、17世紀のクルド人の宮殿、イサクパシャへ行くが月曜は休み!そんなん聞いてねーぞー!とさすがに声を荒げると、運ちゃん、携帯で係を呼んで開けさせようとするも、待てど来ない。仕方なく、近くのウラルテゥ宮殿の方へ。こちらはより古いらしく廃墟っぽい。待ってても埒があかないので先へ。

 クルド人村へ。つっても、そもそもドーバヤズットの人口の9割がクルド人で、運ちゃんも然り。傍目には区別つきまへん。たださすがに検問厳しく、昨日のバスでも2回IDチェックがあったが、この辺では町を出入りする毎にチェックあり。クルド人村村は夏用と冬用があって、現在はまだ夏用に在住らしい。学校なんかもある一つのコミュニティで、子供も中には金髪がいたりして、トルコ人との区別はつきにくい。この辺の犬は異様に強暴で、車めがけて飛びかかってきたりする。道もところどころ、石が積んであって、とうせんぼされてるところがあり、外部からの侵入者を拒んでいる姿勢が見られる。牛の糞を練り固めてピラミッド状にしている奇妙なものが目立つ。運ちゃんに聞くと、中で火を焚き、その熱を室内に送る?のだそうだ。

 次はノアの箱舟跡?へ。近くで見られるわけではなく、展望台のようなとこで遠巻きに眺める。まあ見えないこともないけど(左画像)、トルコでは自然が作り上げた奇妙な造作物をさんざ目にしてるからなあ。あれだって自然に出来てたっておかしくはない。いよいよイラン国境近くへと向い、検問を受けるトラックの列を横目に、国境の町ギュルブラックへ。近くには、巨大な隕石の落下跡がある。イランとトルコの国境は、金網みたいなので仕切られているだけ。“あれじゃ簡単に越えられちゃうじゃん”と思いきや、付近には地雷が埋められているそうな、コワ〜。隕石跡周辺の写真撮影にも、兵隊さんがかなり神経質になっていた。

 イラン国境を前にして、ふと考える。まだラマザンにはしばし間があるし、エルズルムに戻ればヴィザは取れるかも知れないし、おまけに欧米人も含め、この御時世ながらイランに向おうとしている。ひょっとして大丈夫なのかも。運ちゃんに意見を求めると、“来年は無理かも知れないから、今のうち”との弁。考えこんで、しばし「歩き方」に見入る。金の問題とか日数の問題とかあるし、LPのイランは昨日のマツタニさん夫妻に差し上げてしまった。とはいえ、行けないことはないかも。イランは、憧れの国というよりは、意外と日本人旅行者の評判がよくないので、あまり力入れず2週間位で切り上げるつもりで行くなら、と次第にイラン行きへと傾いてきたり

 それはそうと、イサクパシャに続いて、よりによってアララット山が見えない!思いきり雲がかかっているのだ。おまけに、さっきからものすごい風が吹いて砂嵐状態で前方がロクに見えない。“ユー・ハヴ・ア・バッド・ラック”と運ちゃんにも言われたけど、日本での日頃の行いが悪すぎたのですかね?この辺まで来ると、かなりグッタリ。イサクパシャが見られないことで、宿の兄ちゃんに再ツアーを要求すべきか返金を求めるかを諮りだす。大体、クルド人村等の訪問もアッサリし過ぎて不満。何せ、払った金が94ミリオン(59ドル)!だからね。ちょっとやそっとじゃ満足できませんぜ。それにしても腹が減ったぞ、いい加減。

 イサクパシャの管理人らしいのには、依然連絡取れず。で、早くも最後の訪問地・ディアディンの温泉へと向う。ちと早過ぎねえか?町で昼食かと思いきや、この辺はいいロカンタがないってことで、運ちゃんがパンやら何やらを買って、温泉のとこで食べるということになる。で、約1時間走って掘建て小屋っぽいとこへ。兄ちゃんが僕のナイフ使って!サンドイッチを作る合間に、周辺の谷や川を見物。温泉の湯が流れ込み、ちょとしたミニ・パムッカレ風だ(右画像)。サンドは、トマト、キュウリ、塩チーズだけのもの。意外に食えたけど。温泉の管理のおっさんにチャイをご馳走になる。

 久々、水着に着替えて待望の湯だ。ここの温泉は、なかなか本格的。屋外プール状で、子供他数人が浸かっている。しかし、ブルサでもそうだったけど、トルコ人は広い湯船があると、あくまでもプール的感覚で、泳いだりバシャバシャやってばっか。まあ、ゆっくり浸かるというのが、そも日本人だけの感覚なのかも知れないけど。私はゆっくり浸かりました。少しご機嫌も回復。もっと浸かっていたかったが、ロシアでの膝の古傷を壁にぶつけ、久々に傷口が開いてしまい、仕方なくあがることに。あとはひたすら帰路であります。

 宿帰って、早速、本日の苦情を申し立てようとしたところ、肝心の兄ちゃんがいない。代わりに不在だったお父ちゃんがいる。帰りを待つことにして、近所でビールを買いつつ、イランの「歩き方」等読むが、暗くなっても電気点かず。あのメチャバカ暴風のせいで停電らしい。点いては消え、点いては消えだ。さすがのこの辺もこんなことは滅多にないという。わかりましたよ、自分の日頃の行いの悪さは既にかなり自覚してますって。でもねえ、せめて夕飯位は食べさせてはもらえんでせうかね?

 3度目位の停電のとこで、やっと宿の兄ちゃん発見。顛末を話し、とにかくイサクパシャは明日再訪することになる。勿論、追加料金無しでだけど、“ついでにホースライディングしないか?”とか“トレッキングしないか?”と兄ちゃん、商売人である。自慢じゃないけど、こっちゃマジ金無いんで。無いぶりッ子してるわけでないんだって、全然自慢にゃならないね。とまれまた電気の消えぬうちに夕食へ。サチタワが食べたかったので、昨日と同じ店へ。チョルバがイシュケンベだけだったので頼むが、ニンニク水をジャカスカ入れる。サチタワにもふりかけ、チリもドッとかけるが、トルコのチリはなぜかあまり辛くないんだよね。それに、確かにこの辺のチャイはちと薄いです。食べてる途中でまた電気消える。この先またこういうこともあるやも知れないので、スーパーに寄ってローソクを買う。ついでにトルコ製蚊除けローションとコロンヤ・スプレーも。酒屋に寄るが、トルコにはアララット(アルメニア産コニャック)無いみたい。山の麓なのにねえ。どうもアララットには縁がないようで。ロシアで買っておきゃあよかったなあ。またいつ電気が消えるかわからんので、ネットカフェは明日にしとこ。

 夕食後に宿に戻ると、夜番?の兄ちゃんにチャイに誘われフロントへ。客なのか何なのかわからない数人のクルディッシュと談笑?するうち、何やら酒臭い太ったオヤジがやってきて、トルコ式挨拶でチュウされてしまう、ゲロ。そのオヤジが悪名高いエルズルムのオヤジではないかと思ったが、代理店の人間らしく、“お前の部屋はどこだ?二人で話そう”なぞと言い出す。冗談抜かせ。10時頃マツタニ夫妻がネットカフェより戻る。明日イランに向けて出発することにしたそうだ。さっきのデブオヤジが戻らんうちに部屋へ戻ると、マツタニ夫妻が買ってきたワインをふるまってくれる。旅の思い出話に花が咲く。イランに行こうかと思うと言うと、LPを返して下さった。一旦差し上げたものを申し訳ないなあ。でも夫婦共通の趣味というか、価値観を持たれているのは羨ましい限りですね。自分で言えば、一緒に映画行く位ならありでも、一緒にでかい荷物持ってパッカーする相手なんて思いあたらんもんなあ。とまれ、1時近くなったのでお開きとする。ちょっと飲み過ぎた感も無きにしもあらず・・・
本日の出費:ツアー代7400万L! 朝食100万L 箱舟のチップ25万L ビール90万L 夕食200万L 雑貨424万L 計8240万L



 ・10月16日(火) ドーバヤズット 3日目 イッツァ・バッデ〜

   表題、リサ・ローブっすよ、シミズ先生。とまれ、8時に目が覚め朝食へ。たまにはパンで済まそうと、パスタネスへ行きトルコ式朝食を取るが、やはり高めについた。昨日行けなかったイサクパシャ宮殿へ10時出発のはずなのだが、9時半過ぎても宿の兄ちゃん、まだ寝てる。さすがに起すが、完全にねぼけている、全く。タクシーが来ると言うが。午後イランに向けて出発のマツタニ夫妻も、見物に加わることに。二人で4ミリオンの値で。それにつけても、ツアー代94ミリオンは高くついたよなあ。一体、トルコ滞在費の何日分になるんだ?例の2200ドルよりも痛い気がするぞ。まあ過ぎたるは及ばざるが如し。イサクパシャは意外にスケールが大きい(右:昨日撮った画像だけど)。宮殿ということで言えば、勿論、イスタンブールのトプカプやドルマバフチェには及ぶべくもないが、かえって豪華な調度品とかがない廃墟っぽいものの方が、感興を起させるもの。僕は30分位で充分だったけど、マツタニ夫妻はかなりじっくり見ていたなあ。12時半過ぎに旅立たれていきました。僕も後を追いますよ、みたいなことを、その時は言っていたのだけども・・・

 イラン・ヴィザ(再)取得へ向けて動き出さねば。エルズルムの領事館に日数やトルコリラ払い可か等を問い合わせたいが、英語が話せる可能性は低い。そこで宿の兄ちゃんにヘルプを頼もうと思うが見当たらない。近くに昼を食べに行くと、そこで発見。昨日のデブオヤジも。電話をかけることは快く了解はしてくれたものの、デブオヤジに頼めば代行してくれるとか薦めてくる。何で自分で取れば50ドルのものに倍の金額払わにゃならんのだ。大体、あのデブオヤジみたいな奴は好かない。2時半に宿で落ち合うということになる。昼食は料理を一つの皿に少しずつ3品だったのだが、それにアイランとチャイで350万Lという。ボリだなこのヤローと、しばし渋るがボリのつもりではないらしい。してみると、ロカンタの値段は、料理の量ではなく、種類であるということか。朝といい食事に金のかかる日だ。

 何はともあれネットだ。宿の斜向いの店へ行くが、ここは日本人客相手に妙に不慣れ。アレ、日本語打ちが出来るとこではなかったのか?それは宿の真向かいのビリヤード場を兼ねた店だった。とんだ時間つぶしで、宿の兄ちゃんとの約束の時間が近づいてきたので戻らねばならなくなる。夕立があったみたい。宿にはお父ちゃんが一人ポツン。チャイを誘われご相伴。何を話すわけでもないが、このおっさんは好人物であります。それに引き換え、案の定と言うか、息子の方は時間になっても来やしない。今回は頼む立場だから仕方ないが、3時過ぎたので銀行へ。

 宿の情報ノートに、近くにTCを両替してくれるところがあると聞いたので、TC某という銀行へ(宿から少し離れた方の店舗)。コミッションなしだと言うので、久々にドル札が拝めるとワクワクしつつ待つが、出てきたのはトルコリラ(泣)。何ぃ!?ドルのキャッシュに替えてくれるんじゃないのぉ?サインしてしまったTCだから返金もききやしない。単に貴重なドルのTCを減らして、あってもなくてもいいトルコリラを増やしただけ。これはショック大きいよ。お陰で熱出てきたもん。またミスだよ、確認不足の。重ね重ねバカだね〜。

 重い足取りで宿へ戻ると兄ちゃんと会う。ビジネスの都合で遅れてしまって申し訳無いとか言うてるが、ビジネスなんてカッコイイ名称がはまるレベルのことをしとるんか、わりゃ?とまれ近くのコントルル・フォンでエルズルム領事館へTEL。こっちが用意した質問事項なぞ見もせずに話して、電話を切っちまう。で、聞くとヴィザ取得には10〜15日要でヴィザ代50ドルは現金払いのみとか。ホントにそこまで聞いたのかよ、随分短かったぜぃ。でもそうなると状況はかなり厳しい。ドルのキャッシュは38ドルのみ。おまけに10日以上も何やってりゃいいんだ?「歩き方」には3日って話だったのに。これでイラン行きは振り出しに戻る。あの時イスタンブールでキャンセルなんぞしなければなあ。でも、あの時点ではイランなんか、まず無理だろうと思ってたのだけど。一旦、行こうという気になった後だと、逆に行けないとわかると落胆が大きい。兄ちゃんは、またぞろデブオヤジに頼めとかヌカすので、“金がねえんだよ!”とキレる。“何でそんなに彼を嫌うのか?”と言うが、逆に“何でそんなにあいつに稼がせたいんだ”と聞き返したいね。段々、人から金取ろうとすることばかり言い出すこいつを疎ましく思うようになってきた。

 モロモロのショックのせいで、ついに風邪の症状が顕になってきた。とにかくもネットである。改めて宿の向いの店へ。ここは日本語打ち可で速度もまずまず。でも2時間タップリかけ、たまったファイルを全て転送。メール、掲示板に目を通し、銀行口座もニュースもチェック。やることはやって一段落。しかし具合はますます悪化の様相で、宿でしばし寝こむ。8時に起きてテキトーにメシ。すぐに寝ようと思ったが、チャイが飲みたかったので宿でゴチになる。今晩は宿のあいつもいる。例によって客だか何だかよくわからないクルド人数人に加え、ここに滞在しているわけではないというドイツ人旅行者。トルコ(クルド)人以外に話を聞いてもらいたかったこともあり、話の輪に入る。宿の奴はまだデブオヤジが云々言っていて、しばし口論っぽくなる。やっぱこの宿も去り時か。体調が悪けりゃもう1日と思ったのだけどね。いずれにせよ、イランのことなんてスッパリ忘れた方がいいのか?でも、LP返してもらったマツタニ夫妻にも、何か申し訳無いなあ。宿のあいつ、どうも信用できなくなってきたので、明日、いま一度自分で領事館へTELしてみるとするか。可能性は探った上でダメなら諦めるとしよう。とにかく今は体調ですね。
本日の出費:朝食175万L 昼食350万L ネット100万L 電話代110万L 夕食200万L 計935万L

→やっぱイランに未練、またも エルズルム へ

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