国別まとめ3・インド

滞在日数2001年11月9日〜2002年1月22日(74日)
滞在都市ボンベイ22 ゴア9 バンガロール3 ハイダラーバード3 アウランガーバード3 ウダイプル5 ジャイサルメール4 ジョードプル1 ジャイプル3 アーグラー2 カジュラーホー3 ヴァラナシ8 サールナート2 カルカッタ5 *数字は滞在日数
ヴィザ
6ヶ月マルチエントリー・ツーリスト・ヴィザ8+18ドル イスタンブールのインド領事館にて取得 5日要
使った金現金43378Rs カード1565Rs 計46943Rs(121,459円 *1円=3.3円)
主な内訳宿泊費9060Rs 移動費9209(タイへの飛行機代6250Rs含む) 食費10280Rs
観光費5069Rs 交通費(市バス等)1430Rs 通信費(主にネット)3027Rs
娯楽費(コンサート、映画等)2656Rs 雑費375Rs 土産代(CD等含む)2418Rs 医療費88Rs
1日平均1641円
物価
食費、宿代、映画代等何をとっても安いけど、唯一高くついたのが観光費。とりわけタジ・マハル、カジュラーホーといったメジャー・ポイントは軒並み外国人料金が設定されていてバカ高
治安
地方は勿論、4大都市でもムンバイ、カルカッタは夜間でもそれ程不安はないように思えた。危険と言われるヴァラナシでも人気のある通りは問題がなかった。ただ、インドの場合は強盗等よりも何よりも、盗難、そして詐欺の類だろう。特に観光地でのボリや無賃乗車可の列車内が要注意
買ったお土産
CD(「K3G」「ラガーン」サントラ、ラヴィ・シャンカール、A・R・ラフマン・ライヴ)、カセットテープ多数
DVD(「ラガーン」x2)VCD(「K3G」)→ただし、買ったのはバンコク、キングフィッシャーTシャツ
ショール、ポストカード(アミタブ・バッチャン等)、映画雑誌、システム手帳(盗まれたので)


 主な出来事

 ラマザンを避けてイスラム圏を脱出。まだ呼ばれていない気がするインド、図らずもデリーではなくボンベイin。これは結果的には吉。インド最大の都会にして、比較的洗練され汚さも控え目な地。シティ・ライフを楽しもうと思った矢先、到着5日目にして細菌性下痢に。2日間寝たきり生活を送るが、テキトーにくれた病院の薬が見事効いて回復。“いいインド”を先にと、南のゴアへ。ヘリテイジ・フェスティヴァルを待ちながら、ビーチでゴロゴロして過ごすが、フェスは待つ程のもんではなかった?インドのシリコン・ヴァレー・バンガロールハイダラーバードの撮影所見物は少々期待ハズレ。アウランガーバードでエローラ、アジャンタ遺跡を見た後、再びボンベイへ。昼は映画、夜は古典音楽のコンサートの日々を楽しみ、とうとうラヴィ・シャンカールの公演も見られて感激。クライマックスはここだった気が。夜行列車の旅で体調を崩しつつも、砂漠の地ラージャスタンへ。思いの他寒いのとツーリスティックなのに戸惑うも、ウダイプルでは年末のフェスティヴァルで民族舞踊等を堪能。ジャイサルメールでもジプシーの先祖?砂漠の音楽師の演奏に聞き惚れる。ラクダに乗って呑気に砂漠を渡っていたところ、国境までわずか55kmのパキスタンとインドが、数日のうちに開戦との噂。慌ててラージャスタンを脱出の最中、ジョードプルでガキに石をぶつけられてマジキレ。インドへのストレスがたまり始める。交通機関のストップ等を避け、年末年始は都市ジャイプルで寂しく過ごし、屈指の観光地アーグラーへ移動。屈指のぼったくりシティでは、タジ・マハルよりもサイテーの人間たちの事ばかりが印象に残る。イライラが頂点に達した時に着いたカジュラーホーは、インドのオアシスとも言うべきのどかな地。1ヶ月ぶりの日本語会話をインド人と交わして、しばし和む。ザッツ・インディア、ヴァラナシではジョージ・ハリスンの遺灰も浴びつ?ガンガーの沐浴を敢行。でもお浄め効果はヒンドゥ教徒にのみある?で、やはり仏教だろうと、聖地サールナートの日本寺に滞在。寒さに耐えきれずネパール行きはとうとう断念。和みモードが続いた後、1ヶ月振りの夜行列車でカルカッタへ。乗る前のイヤな予感は的中し、手帳とラジカセを盗まれたことで更に南進する気は喪失。タミル映画やカタカリ・ダンスに悔いを残しつつも、大ヒット映画「K3G」を観たのをシメに、インドの旅をお開きとする。

 国の印象

 インド、複雑っすね〜。結局、最後までわからなかった気がする。それなりに楽しかった。音楽や映画を堪能したし、カレーもうまくて飽きなかった。意外に親切な人間も多かったし、それ程イヤな目には合わなかったし。それでも心から好きと言えないのは、なぜ?やはり、あの汚さ、そしてインド人の無神経さが生理的に合わない?それもあるだろう。インドという国及びインド人という人達は、まさにインドの神様のヴィジュアルまんまという印象だ。けばけばしく騒がしく、強かで残酷で、ある人にとってはグロで悪趣味にも思え、しかし、ある人には崇高でホーリーにも見える。サールナートの日本寺の上人さんがいみじくも語っていたように、インド庶民は、躾なんてものを重視していないよう思える。これは金持ちだって同様で、映画館やコンサート会場等で、彼らは日本では許されないような行動を平気でとる。用はトイレで足す、ゴミはゴミ箱に捨てるといった、僕らが日本で受けた躾や教育は、インドでは無意味なものになる。日本で良い子に育てられた人程、インド人の行動は気に障るだろう。一方で、そんなインドの鷹揚さが、制限だらけの世界で育った日本や欧米の人間には魅力に思えるようになっていくのか。インドの人気の秘密は物価の安さだけではないはずだし、必ずしも、インドの精神世界や音楽にハマってしまう人ばかりではないだろう。かつてのインドは、想像を絶する数々の困難が待ち受け、インドを旅することが、ある種の修行であるかのようだったらしい。そうではなくなった今、では、汚さや病気や盗難、詐欺等があることを知りつつも、皆がインドを目指すのはなぜなのか?それはもう、インドという国の発する臭気が、インド特性ハシシのような魔力を持っているからとでも言うしかないか。そう書いている自分は、生憎、その魔力にはハマらず終いだったのだけど。

 いま一度、他の旅人に聞かされた言葉を思い返してみたい。“インドは時の流れが違う”・・・否、インドの時の流れは案外フツーだ。トルコよりもボーっとしてる人は少ないし、むしろインドは急速に変わりつつあるのではないか。勿論、他の国に比べて自分の思い通りにいかないことはあるが、時の流れは決してゆったりしたものではない。“ボンベイはインドらしくない”・・・では、インドらしい地とは?ヴァラナシか?確かに、あそここそはザッツ・インディア。しかし、ヴァラナシはインドのほんの一都市に過ぎない。そういう意味では、ゴアもバンガロールもラージャスタンも、皆インドらしくない。インドは多様なのだ。そりゃああれだけでかい国なのだから、単純なわけがない。その事は理解しつつも、他の国ではあり得ない、あまりに両極端なものが何気に共存するのには、やはりとまどいを覚えざるを得ない。この巨大で矮小、思いっきり俗で聖なる国を愛するには、まさしく毒を食らわばさらまでといった、ある種の気概が必要であろうか。

 とは言っても、この国を完全肯定する気や礼賛する気はない。やはり異教徒にはヒンドゥ教は理解し難い部分が多い。インドの社会体制を形作っているのはヒンドゥ教であり、それ故にある種の歪みを抱えたまま現在に至っているのは事実だし、それは今後も残り続けるのだろう。一方で、インドの政府や金持ちたちの姿勢にも疑問を感じざるを得ない。彼らは目の前にあるものに、しっかり目を見据えているのか。手を伸ばしてくる物乞いや、町中に溢れる牛のクソ、そして自分たち以外の世界の存在をしっかり認識しているのだろうか。やっぱりこの国に問題は多い。その点は冷静に見つめたいと思う。

 “仕事でもない限り2度とインドを訪れることはないだろう”てなことを日記中に書いたけど、行けなかった南部には悔いが。ボンベイはともかく、デリーやカルカッタは避け、いつか、チェンナイin&outでコーチン等南部だけをまわる旅を敢行したい。バナナの葉っぱにのったカレーもその時こそ食べたい。その程度にインド、決して嫌いなわけではないのだ。

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