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東南アジア旅日記
・11月24日(金) ヴァン・ヴィエン → ルアン・パバン イッツ・ア・スモール・ワールド

ヴァン・ヴィエンの朝、ナム・ソン川にかかる橋
やったぜ7時起床。チェックアウトの準備をして、早速、朝の散歩へ。昇る朝日が見れたとまではいかなかったが、朝の川辺は美しかった。そして、市場はもう賑やかだ。今朝の採りたてらしい色々な魚や野菜が並べられている。昨日と同様、アッサリ塩味のビーフンで朝食。そして、コーヒー。コーヒー屋のおばちゃんは、僕の顔を覚えていてくれたらしい。ラオ・ラオを買った店のおじさんとか、昨日のガイドの、柄本明似のフォン氏とか、町が狭いもんで、あちこちに顔見知りが出来る。ルアン・パバン行きバス停の前は、既に数人の白人がいたので、早速、チケットを購入。僕が3番手だった。市場から戻る頃には、人数が40人程度に増えていたので、慌てて大便を済ませてチェックアウト。バスの席取りをする。やはり、バス停側の宿で正解だったかも知れない。
一昨日、ネット・カフェであった日本人カップルも同じバス。そして、トレッキングを一緒にしたスエーデン人3人も。背の高いリッチ・ギャノン(オークランド・レイダースのQB)似の人の良い男が僕の隣。向こうも、こちらがあまり話せないことは知っているので、さして会話は交わさないが、知った顔が回りにいるのは、やはりホッとする。バスは、ほとんどパッカー・バス状態で、ジモティらしき人は1、2人。これも安心と言えば安心。道は別に悪路ではないが、とにかく山道。ひたすら日光イロハ坂状態が続く。1時間半後位にトイレ休憩。当然の如く、ナチュラル・トイレであります。座席が狭くて、隣のギャノン氏は、長い足がきつそうで、ちと気の毒。他のスエーデン人二人も補助席だ。昼近くなって、腹も減ってきたので、朝、市場で買った揚げバナナを少し食べて、ギャノン氏にもお裾分けする。
予定より30分遅れ位で昼食休憩。カシというところなのだろうか?数軒の小さな食堂がある。最初の数軒が焼飯だったようなので、他をあたる。昨日の昼も焼飯だったし、タイもラオスも焼飯の味はフツーというか、日本で食べるのと大差が無いから。バスから一番離れたところまで行ったが、パッカー・バス状態だし、顔見知りもいるから置いて行かれる心配は無いだろう。そこの食堂は、ご飯の上に肉と野菜を煮たものをかけて食べさせてくれた。これがうまくて、ラッキー。満足してバスに戻る。
相変わらず山道。この辺は標高どのくらいなのだろう。いずれにしろ、なかなかの眺めだ。通りすぎる村は、ホントに掘建て小屋状のものばかり。年中暑いから、あれで用が足りるということもあるのだろうけど、ラオスの国民総生産は、一人当たり年間4万円とかいうレベルらしい。一月で3千円程度ってことで、日本の100分の1以下か。ともあれ、4時半過ぎに、バスはルアン・パバンへ到着。ヴァン・ヴィエン程でないにしろ、かなり小さなバス・ターミナルだ。荷物が降ろされるのを待つ間、チケット販売所で、ウドン・サイ行きのバスのチケットはどこで買うのだ?と聞くが、結局よくわからなかった。日本人カップルとベトナム人2人と共に、トゥクトゥクをシェアする。3000kで、一応、ゲストハウスの集まっているエリアらしきところまで行くが、僕の目星の宿はもう少し先のようなので、一緒に来た連中とは別れて先に進む。どうせ、狭い町だからまた会うだろう。
ところが、ちと距離があった。船着場を過ぎて、ようやく目星のメコン・ゲストハウスへ。なぜここかと言うと、ノーン・カイ以来、一度、メコン川沿いの川が見える宿に泊まってみたかったからだ。ふられた部屋は道沿いで、窓を開ければ、まさに川が見える部屋だが、トイレ・シャワー共同で25000kはちと高い気が。精神的に余裕があるせいか、もう少し宿を物色することにするが、先にあった1軒は満室で、後は、川から少し離れている。結局、急ぎ戻って、メコンの部屋に泊まることにした。久々にお湯を浴びたかったので、2階にあるホット・シャワーを浴びる。トイレと水シャワーは部屋の隣で、1階は他に客がいないようなので、事実上、ついているのと一緒という感じではある。しかし、宿の若い娘たちは英語が通じず、情報はあまり得られそうに無い。サウナがどこにあるか知りたいし、中国行きの情報を少しでも得たいのだ。
もう6時近いので、この日は夕食を取る程度だろう。既に薄暗くなった中ブラブラ歩くが、川沿いは灯りも少ない。メイン・ロードらしき近辺は、小奇麗なレストランと土産物屋が並ぶ。ディナー・ショウ的に伝統舞踊なんかをやっている大きなホテルまで来て、その近くの川沿いのレストランが、ロンリー・プラネットに載っていたので、そこに入る。程なくして伝統音楽の演奏が始まった。僕と同様、一人で食事処を捜していた白人が、僕の隣に座る。僕は、ビアラオと春巻と魚のココナツ・スープを頼む。隣の白人は何やら炒め物とご飯とビール。ちょっと一人で寂し気だったので、“オレ、一人で全部食えないから、春巻少し食わない?”と声をかける。それをきっかけに、英語でしばし会話する。彼はスイスの勤め人。本来はドイツ語を話すそう。これが、意外や旅の大ベテランで、今回もラオスをあちこち回っている他、タイ、カンボジア、ベトナム、ミャンマー、そして、僕が行こうとしている雲南の昆明にも、まだホテルが1軒しかない頃に行ったそうだ。日本には4回行っているという。ラオスから中国の国境へは行ったことがないが、僕の次の目的地ウドンサイには行ってきたばかりで、お奨めの宿を教えてくれる。とにかく、スイスは1ヶ月位の休みが取れてしまうところなので、彼のような旅三昧も可能なのだろう。もっとも、スイスの物価も日本並の為、彼にしてみれば、日本の物価はそれ程気にならなかったそうだ。何だかんだ、彼と2時間近く談笑し、色々情報をもらう。拙い英語でもそれなりに意思疎通は出来るものだ。“きっとまた会うだろう”と言って気持ち良く別れる。料理もなかなかで、30000k程払った。肌寒くなり、サウナが恋しいところだが、9時半を過ぎたので、明日にするとしよう。
宿へ戻って、ヒーターで湯を沸かしてお茶を飲む。結構、朝晩は冷えるようだ。それは、雲南やヴェトナムも同様なようで、ちょっとTシャツ、短パンだけでは辛いみたい。相変わらず、喉はイガイガして鼻水も少し出ている。もうあまり悪化はしないと思うが、まだまだ風邪には要注意か。蚊がいたので蚊取り線香を焚く。明日は宿を変えるか否か・・・

・11月25日(土) ルアン・パバン2日目 ラオ・ラオ村で試飲しまくり

部屋の前から見える朝のメコン川。朝はいつも少しもやっている
何やら4時頃に、ニワトリの合唱に続く、お経のような音で目が覚めてしまった。何せ、寺はあちこちにある。8時ちょいに起きて、まず窓を開く。思いっきり、眼前は川であります。ところが、靄がかかっていて、天気が良くない。東南アジアに来てからというもの、ほとんどの日が晴れなので、曇天と言うのは、ちとショックだ。おまけに、気温も低く雨さえ降りそうな雰囲気で、意気消沈。ともあれ、宿替えを視野に入れつつ外出。今の宿はシャワー共同の割にちと値段高いし、ドアの立て付けも良くない。まずは、市場と、町が一望に見渡せると言う、プーシの丘を目指す。市場は食料品が見当たらず、朝食が取れない。丘の登り口はメイン・ロード側だった。8000kの入場料が必要だった。結構な昇り階段で息が切れる。上には寺がいくつか、裏側に降り口があり、メコン川の支流側に降りた。こちら側から昇れば無料で済んだのでは?
川沿いを歩いていると、ボートに乗らないかという声がよくかかる。洞窟はともかく、ラオ・ラオを作っている村に行くと言うので、大いに興味をそそられる。しかし、一人では当然割高になるので、誰か連れが欲しい。船そのものは15〜20ドルらしく、人数が増えればその分安くなる。船の客引きの少年に、もっと客を集めろよと催促するが、どうもラオス人はシャイというか、押しが強くない。見兼ねて、こちらも客引きの手伝いをする。ラオ・ラオ村には是が非でも行きたいのだ。通りかかる日本人らに声をかけるが、なかなか捕まらない。白人が来ると、“行け、行け”と客引きが僕に催促する。何で、客のオレが客引きせにゃならんのだ?結局、人は集まらず、昨日バスで一緒だった連中を誘うべく、彼らの泊まっているらしい宿近辺へ行く。ギャノン氏と、ラオス人ジモティらしき人はいたが、気乗り薄。日本人カップルは見かけず。それでも、客引きが多少集めてはいないかと、コーヒーだけ飲んで,バナナを買って10時に戻ってみるが、やはり客は集まらず。行きたいんだけどなあ、ラオラオ村・・・
一旦宿へ戻り、仕方なく連泊の旨、告げる。結局、このパターンだ。洗濯物を頼むと夕方には出来ると言うので、パンツやジーンズを頼む。ぼート・ツアーは諦めかけて、トボトボ歩いていると、別の客引きからまた声がかかる。よく見ると、バスで一緒だったエジプト青年(ここの前はエジプトにいたそうなので)がいる。船乗りませんか?と声をかけると、別の日本人がもう一人いて、彼もシェアのため、客待ちをしているという。なら、最低二人だけでも、少しは安くなるので、どうにか行けそうになってきた。結局、エジプト青年も加わることになり、3人で28000kを払うということで、手打ちとなった。めでたし。待望のボート・ツアーに出発。
ガソリンでブンブン走るボート(左画像:その船内)だが、これでも、スローボートだという、確かに、時折、横を通り過ぎて行くスピードボートは滅茶苦茶早い。でも、あんなもんで都市間移動はちと怖い気が。ドロドロのメコン川をスロー・ボートはそれなりの速度で走る。眼前の風景はとても美しい(右画像)。ところどころで、子供たちが素っ裸で川遊びしている。
ここは、ワニとかいないんかな?ラオラオの村まで、結構、距離があり、2時間近くかかる。成程、ちょっとした土産物屋のようなものが並び、瓶詰のラオ・ラオが売られている。しかし、どうもラオス人は、あまり商売っ気がなく、声もあまりかけてこない。ともあれ、早速、試飲をする。数ヶ所で試飲するが、蒸留具合が今イチで、クセのあるものやアルコールきつめのものもある。赤い色のものは、赤玉ワイン風というか、甘くてまずかった。可愛い少女(って、大体、売っているのは少女だ)が売っていたもので、割と口当たりがサッパリしたものがあったので、また後で来るよと言って、しばし、また散策。樽で米を発酵させ、蒸留させている様子も見学(左画像)。
しかし、朝から何も食べてないので腹が減って、ラオ・ラオよりも、気分はカオ・カオ(メシ、メシ)。食べるところが見当たらないのだが、どうにか、ソーメンのようなものを食べさせるおばちゃんがいた。野菜を色々入れてぬるいスープで食べる。まずそうだったが、どうにか食えた。揚げ煎餅とあわせて5000k。腹が満たされたところで再び試飲。何やら薬草をつけこんだようなのもあったが、味は変わらなかった。そうこうしていると、ボートの兄ちゃんが、時間を告げに来る。試飲を切り上げ、結局、前のお姉さんのところで、1本5000kで買う。ヴァン・ヴィエンで買ったのが、まだ残っているんだけどもね。
再びボートに乗り、今度は洞窟へ。こちらの洞窟は、ヴァン・ヴィエンのトレッキングみたいに、しんどいものではなく、奥行きもあまりなく、奥に小さな仏像が並べられているばかり。ちょっと酔いがまわっているので、登りはしんどかったが。行きのバスで一緒だったヴェトナム人青年も来ていた。彼は、眼光も鋭く、なかなか気骨あるアジア人らしいが、同胞?である僕らには笑顔を見せてくれる。洞窟は程ほどで済まし、帰りとなる。朝は曇っていたが、昼前からスッカリいい天気に。どうやら、これがパターンらしい。傘なぞ不要でありました。帰りの行程は、思わずウツラウツラ。目が覚めると、ボートから落ちそうな気がしてハッとする。4時頃に元の岸に到着。5時間弱の楽しい道のりだった。同行の二人とは、また夜にでも会いましょうと別れる。
宿に戻り、ラオ・ラオを置いて、再び外出。とりあえず、陽がくれて気温が下がる前にビアラオを飲んで、少し腹も満たしたい。そして、なぜか赤十字にあるというサウナを目指すためだ。しかし、ガイドブックを宿に置いてきてしまい、場所がわからない。おまけに、缶のビアラオを売っているところは少なく、なかなかビール&軽食にもありつけない。ウロウロしていたら、トレッキングで一緒だったスエーデン人カップルを遭遇。“赤十字の場所がわからなくてウロウロしているんだ”と言ったら、ガイドブックを見せてくれた。感謝、感謝。彼らは、虎を見に行く、とかで別れる。虎なんているんかいな?しかし、ガイドで確認したにも拘らず、場所はわからず終いで、結局、また一旦宿に戻る。何をやってんだか。
ガイドブックを持って再び出たが、さすがに腹がペコペコ。運良く、昨日も見かけた春巻を売っているおばちゃんを見つけ、横の店で缶ビアラオを買い、生春巻をもらう。ようやく、ビールとつまみにありついていると、昨日のバスで、唯一、ジモティぽかった青年が、やはり春巻を食べに来る。かれは、ヴィエンチャン在住のラオス人だが、名前はタイ。初めてラオス国内を旅しているという。本当のラオスを知りたければ、ルアン・パバンの東に位置するフォンサヴァンに行くべきだという。ここへの陸路は今でも危険らしく、ラオス人の彼でさえ飛行機を使ったという。昨日のスイス人も確かそう言っていた。彼の英語は僕よりは少し上で、日本の話しも含め、短い時間ながら色々話す。いつか、日本にも行きたいというので、もしその時が来たら連絡をくれと、アドレスを渡して別れる。こんな具合に、町が狭いものだから、知り合いとは、1日平均2回位会う。ヴェトナム青年ヴィンさんにもまた会った。ラオスに来て以来、旅人同士との交流もいい感じ。ホント、ラオスに来て初めて、ああ旅に出て良かったなあと実感できた気がする。
再びサウナ捜し。もう陽が暮れてしまったが、ようやく赤十字を発見。これまた素朴な作りのところだった。10000kを払って、ロッカーに荷物を預け、早速サウナへ。ヴィエンチャンのお寺のと同様、薬草のサウナらしく、同じ香りがする。白人も多少いたが、主に地元の若者が来ている。英語の話せるジモティとしばし話す。“土曜の夜とか、ラオスの人は何しているの?”と聞くと、“宴会したり色々さ”と、そりゃそうだ。これは、ちとバカにした質問だったかも知れない。何せ、ラオスの夜ってすることがなくて。ラオス人は、本当にサウナ好きらしく、更に、若い女の子たちが、後からやってきて、また混浴状態になる。これが、ラオス一番の娯楽なのかも。1時間位ゆっくりと浸かる。ようやっと夕食だが、出遭ったエジプト青年と彼女は既に食事を済ませた後。もう一人の日本の人とは、残念ながら出会えず。コンピュータ関係の仕事で、一年の3分の1位シンガポールにいるそうで、その辺色々話しを聞いてみたかったのだが。
仕方なく、また一人、食べるところを捜すが、どうも白人で混んでいるところは入る気がしない。かと言って、人がいないとこも辛い。結局、宿の並びにある川沿いの店で、白人ゾーンの川へりではなく、ジモティ・ソーンの店内に席を取る。ビアラオと野菜と鶏肉の炒め物、そして、スティッキー・ライスを頼む。スティッキー・ライスとは、要はもち米をふかしたもの。昨日のスイス人が、これを手掴みで食べていたし、昼のシンガポール在住の人も、これが好物だそうなので。でも、何かおこわみたいにゴワゴワした感じ。しかし、これも、おかずの汁をつけて食べるといける。おかずは、セロリやらトマトやら野菜タップリのヘルシーな一品。まずまず満足。教会のような建物の中にある、日本語打ちオーケーのネット・カフェに寄り、ホットメールでメールを送信。株価やニュースを見る。宿へ戻ったのは10時半。結構、町は寝静まりつつある時間だ。カラオケ・パーティで盛りあがっている家もあったが。宿では、洗濯物があがっていた。ヴァン・ヴィエン製のラオ・ラオを飲みながら日記。明日はひたすら町歩きの予定。まずは、宿替えだ。

・11月26日(日) ルアン・パバン3日目 市内を隈なく歩き回るが・・・
今日の午前中の課題は、とにかく通信命であります。8時起きで。近くの市場の屋台コーヒー・ショップで朝食。ラオ・コーヒーとバナナ・フリッター2つにケーキ1個、4000k。早速、老舗の高級ホテル、プウシ・ホテルへ。フロントで尋ねるが、ここも部屋の電話はオペレーター経由。こういう地のホテルにビジネス・センターなぞ望むべくもなく、ガックリ意気消沈。また通信が・・・他に電話がついてそうなホテルは、町から遠い。最後の手段的に宿に電話を使わせてくれと頼むが、この時ばかりは、いつもの姉ちゃんたちではなく、じいさんが出てきて、ポスト・オフィスに行けという。しかし、今日は日曜だからなあ。案の定、郵便局は閉まっている。しかし、その横に電話局が。一応、開いてはいるが、テレカを売っている少年がいるだけ。中には、電話が一台あって、これを使ってもいいのかもと、パソコンを繋いでトライしてみるが、うまくいかない。不思議そうに眺める少年。しかし、そのうち、少年のお姉さんいたいな女の子が、電話機を持って行ってしまった。ダメってことみたい。そりゃそうだろう、完全にイリーガルな行為だわな、これ。学校の宿題をやっているお姉さんに、すげなく断られ、途方に暮れ、トボトボ歩く。
ダメだろうけど、一応、ネット・カフェもあたる。昨晩行った、ラオ・ガールにしては、めずらしくグラマラスなお姉さんのいたカフェへ行くと、これまた女の子がいて、「私じゃわかんないから。後で姉が来るから、また後で来て」と言われる。ということは、この娘は、あのグラマーの妹かいな?と、そんなこたともあれ、多少期待を抱くが、念の為、その向かいの店にも寄ってみる。そこにいた兄ちゃんも、最初は断っていたが、5分だけ!と押すと、まあいいか、という感じで、アイマックに繋がっていた線を一本貸してくれた。再び、バンコクへの国際通話で接続だ。やはり、14を00にして、見事成功。HP更新とメールの受信を済ます。こういう時に限って、お知らせ系のメールしか来てないんだけど、もう。HPも画像ファイルが準備できてなかったし、やや不完全な状態。それでもまあいいでしょう、次はどこで更新できるかわからないもんね。多分、昆明に行くまで無理でせう。お兄ちゃんには、国際通話料として、宿1泊分にあたる35000K払ったが、7000Kはオレの分みたいなこと言ってた。ま、賄賂でもいいすよ、通信できたから。極小のリブレットを羨ましそうに見ていて、しばし、パソコン談義するが、“ソニーの方がいいよ”と言っておきました。
やあ、これでまたスッキリ。とりあえず、問題が解消されたので、宿は、メコン・ゲストハウスに連泊。結局、このパターン。ここは、お姉ちゃんたちの人はいいのだけど、ドアの立て付けがやたら悪い(いつも鍵を開けるのにやたら苦労する)のと。共同・水シャワーがネック。ゴミ箱もないし。毎日、フロアでパソコン広げていた白人たちは、オランダ人で、観光用に洞窟を調査していたのだそう。今日で終わったとか。さて、まずは腹ごしらえ。面倒くさいので、宿から一番近い川岸のレストランで。野菜と鶏肉を炒めたものをご飯にかけたものと、オレンジ・ジュース。量的にはちょうどよかった。ようやっと観光。とにかく、今日は市内を徹底的に歩くつもり。とりあえず、川岸の端っこまで行こうと歩いていたら、昨日、ボートで一緒になった人が座っていた。この人とは夕食を一緒に取ろうと話していて会えず終いだったので、ちょうどよかった。パソコン関係の仕事をしていて、AOLの旅のサイトの責任者だそうだ。やはり、なかなかの達人でありました。アマゾンでマラリアにかかったこともあるそうな。残念ながら、夕方の飛行機でヴィエンチャンに行くそうで、ソフトドリンクを飲みながら、しばし話して別れる。サイトのURLを教えてもらったので、早速、今晩見てみるとしよう。
川沿いに端まで行くと、ルアン・パバンでは一番有名らしい寺ワット・シェントーンに辿り着く。ただ、その分5000Kの入場料がかかったが。久々に靴を脱いで本堂に上がり、お線香をつけて拝む(右画像:お寺の中にあった巨大な御神輿?状の戦車)。バンコクで仏教不信になって以来のこと。来た方向へ戻る形で進むと、大小いくつもの寺がある。ただ、特筆すべき程のものではなく、何となく、ルアン・パバンの世界遺産たる所以が今イチ、ピンと来ない。寺だけでなく、町並みも含めて選定されたらしいけど、植民地時代の名残というのも、マラッカ程感じないし、ニューオリンズみたいな独特な家々があるわけでもなく、極めて地味で特徴が無いような気がする。勿論、悪いとこではないけど、アクティヴィティの豊富さ等では、ヴァン・ヴィエンの方が上。結局、ここって、意外にあまり見るものがないのだ。どうして、こんなに人気が出たのかな?第2のカトマンズ的な言われ方をしているようだけど?葉っぱ売りがいたりするせいか?(まさに、そのせいでありました)
次は、食料品市場を目指して北へ向かう。しかし,地図にそって歩いても、どうしても見つからない。天気は相変わらず良くて、昨日よりも暑い。西日が差す時間になって、いい加減歩きつかれて休みたくなってくる。例のエジプト青年と連れの女性と出会って、しばし話した後、缶ビアラオのあった店で休息。後は、日用品市場で細かいものを買い物だ。トレペやメモ調、蚊取り線香、ボディシャンプー等を買うが、結構高かった(食事代とかと比較してですよ)。しかし、財布を見ると、いつぞやあまりの札束の厚さにボーゼンとしたキップが、もうかなり減っている。もう数ドル両替しないと、足りないかもって位。こりゃ、残りの2日は、あまり贅沢は出来そうもない。今度は、更に町外れにもう一つある市場を目指すが、これまた辿り着けず(涙)。市場が開いていたら、そこで、そのまま夕食のつもりだったのだけど、日が暮れてきたので、一旦、宿へ戻る。
水シャワーを浴びて、体も洗う。市場の近くでドーナツを買って食べたので、ペッコペコではないが、そこそこ腹が減り、夕食へ。しかし、ジモティ向けっぽくて目をつけていた店は、ビーフンしかなかった。仕方なく、一昨日行ったレストランへ行くが、この日は白人多し。ジモティ向けの店は、市場の先で遠く、もう歩きつかれたので行く気がしない。結局、昨日と同じ店に行く。ビールともち米と、トマト、キュウリ、キャベツ、白菜、人参、セロリ等の野菜とカシュー・ナッツを炒めたものというヘルシー・メニュー。また、もち米は全部平らげてしまった。食後の散歩で、更に、残りの買うべきものをあたる。ビアラオTシャツは18000Kで購入。後は音楽カセットだが、いい店が見つからず断念。有り金も残り少ないし。
宿へ戻ってタオルと海パンを持って、またサウナへ。今日は宿に近いところへ。そこは、場所柄、白人が多いが、赤十字よりも安かった。基本的にラオスのサウナは、薬草系のスチーム・バスのよう。温度はそれ程高くないので、長めに入っていられるが、冷水を浴びたりはない。むしろ、薬草の成分が薄れるから、シャワーは浴びない方がいいとのこと。お茶を飲みながら、汗が引くのを待ち、また入る、の繰り返し。会話には参加しなかったけど、白人たちの国境、移動談義に耳を傾ける。1時間程でサウナを出て、例のグラマーがいたネット・カフェへ。午前中の女の子の話から、ひょっとして、不完全に終わったサイト更新を改めて、とも思ったが、あまり時間がないので、メールを数通送ったりする程度にとどめる。因みに、昨日のグラマーさんではありませんでした。向かいの店では、日本人数人がバカ騒ぎ。ルアン・パバンでは、白人もバカ騒ぎはしてないのに、何か、日本人って、どっか浮くところがあるよなあ。ネット・カフェのお姉ちゃんも笑ってたぞ。
何だか、明日、朝トゥクが来てくれるみたいなことを言っていたので期待しよう。6時位に起きなくちゃいけないのに、ちと夜更かししてしまった。最大の問題は、ラオ・ラオをどうするかだなあ。荷物の中に入れてこぼれたひにゃ目もあてられない。今日は、ちと腹パンパンで飲む気がせず。さて、どうしたものか。
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