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露・土・印 旅日記
・9月13日(木) アンタルヤ → パムッカレ 何かハズしてる1日
また朝食は9時だった。昨日、賑やかなトルコ人一家も加わったようだけど、また一人。部屋へ戻って荷物をまとめあげた時は10時半。パムッカレ着は夕方かなあ?昨日、オトガル行きバスをチェックしていて、"Yeni OTOGAR"と"Eski OTOGAR"と2種類あるのに気づいた。いわゆる大きなメインのオトガルへ行くのはどちらなんだろ?と、マネージャーに聞こうと思ったら、こんな時に限って出かけたらしい。とても親切だが、残るは英語の通じない従業員のおじさん。とりあえず、オトガル行きのバスはどこへ行けば拾えるか?は通じたらしく、北へ1本入った道まで案内してくれた。ところが、鍵を返すのを忘れてまた戻ったり。問題の“エスキ”行きの方のドルムシュが来たので聞くが、オトガルには行かないという。で、次に“イエニ”、こっちが正解でありました。着いたのは11時半。サービスの良さで定評ありの、パムッカレ・ツーリズムの12時発パムッカレ行き切符を買った。
“パムッカレ1枚”と買ったのだけど、やはり行き先はデニズリになっている。パムッカレに宿を取るなら、そっから市バスに乗るらしい。何時間かかるか?と聞くと、意外や3時間と早い。とまれ、バスはウエイター風スタイルのお兄さんがキビキビと世話してくれる。お菓子はなかったが、お茶はあり。食事休憩もしっかり。パンを1個買ってあったので、食堂でチョルバだけ頼む。如何にも日本人っぽいチッチャイ女の子二人組も同乗。海外で見かける日本女性は、ホント何かみんな極小サイズ。日本人って、こんな小さかったかなあ?と不思議になる。それとも、小さい子が旅好きなのかな?ま、いいや。
成程、3時間半程でデニズリ到着。バスが着くや否や宿の客引きが乗り込んでくると聞いていたのだけど、来たのはパムッカレ行きドルムシュの客引きで、これ幸いにと乗りこむ。デニズリではなくパムッカレに宿を取るのは、単純に見所に近いからということだ。15分位走って、「歩き方」にも載っている宿の名前が見え始めたが、終点は近くの広場らしいってことで、余裕かまして乗っている。ところが、町をドンドン過ぎていくではないか。さすがに焦って運転手に聞くうち、バスは遺跡のとこまで来てしまった。更に、例の石灰岩のお山にまで。宿を取る前に明日来るはずの見所に先に来てしまった(苦笑)。その辺を周って、また町中、デニズリへ戻るらしい。ドルムシュの料金表示で“パムッカレ(トラヴェルタン)”って書いてあったので、これは旅行者料金を意味しているのだろうと勝手に解釈していたが、実は、“トラヴェルタン”ってのが、例の石灰棚のことだったのだ。ようやく目的の宿に辿りついたのは5時過ぎだった。
ムスタファという宿は「歩き方」に載ってる宿なんだけど、敢えてここにしたのはドミがある(はずだった)から。このとこ、ちと出費が嵩み気味の気もするので。ところがドミはクローズとのことで、ダブルの部屋で、朝夕食込み8ドルとのこと。まあ部屋もきれいだし、食事込みならよいかと決める。宿のおっさん、いきなり“タヌキオヤジデス!マツムラクニヒロ、バウバウ”とか珍妙な日本語連発。“何でそんなに日本語話せるのか?”と訊ねると、“ガールフレンドがいるから”とのこと。日本人ガールフレンドのいるトルコ人の多いこと。小さい子が好きなんかね?トルコ女性は、背丈は日本女性より少し高い位だけど、ケバブで育っているせいか、全体的に発育はよろしい印象。白人っぽい人もいれば、如何にも中東っぽく眉つながってたり毛深い人とか様々。そういう意味ではバラエティあって、トルコ男も楽しいんではないか?ま、いいか。
今日はもう夕方なので、遺跡の側にある温泉プールだけ行ってみるべく、さっきの路線のドルムシュを待つ。駐車場のおっさんが、ここで座って待てというのでお言葉に甘える。またぞろ、おっさん“カンフー!”とか言うので、“それはチン(チャイニーズ)”と言うと、今度は“テコンドー!”。“それはコリア、日本はスモー!”と言ってシコを踏んでみせたが、それでよかったのでせうか?とまれ、待てど暮らせどバス来ない。もう6時過ぎで焦り始めた頃、やっと現れ乗り込むと、さっきと同じ運ちゃんだった(笑)。
温泉プール・テルマルは遺跡を過ぎた博物館側にある。入場料5ミリオンだが、7時半に閉まるという。ありゃ、もう30分位しか入れないじゃないか。まあいいやと入る。温泉と言ってもややぬるめ。露天風呂というよりは、やはりプールである。団体バスで来てる中年白人ばかり。プール内には、演出か自然か、遺跡っぽい柱だの岩だのがゴロゴロしていて、所に寄っては足の裏が痛い。でもこれはこれで面白く、それなりに気持良く、ギリギリまで浸かっている。高度が高いせいか、日が暮れたら気温が下がってきた。また風邪がぶり返さぬうちにと出て、ドルムシュに乗り込むが、他に客がおらず一向に出発しない。何せ、団体グチャーかマイカーの人ばっか。ここパッカーはおらんのか?日本人は?どうもよくわからん。シーズンオフになりつつあるからか、肝心の石灰棚がしょぼくなってるせいか、何か人が少ない。バスがようやく動き出すが、アリャリャ、逆方向のカラハユットへ行くではないか。また焦るが、そこで客拾ってデニズリ方面へ向うらしい。そんなこんなで宿へ戻ったのは8時半。どーもハズシてるよ、今日は。
夕食は、スープに続いて、サラダ、キョフテ煮、ピラウの1プレート。デザートにメロン、スイカとなかなか。ビールを1本。ヴィンス・ギル(カントリー歌手、例えがマイナーな人ばかりでスミマセン)似のお兄さんがニコニコとサーブしてくれる。腹が膨らんだところで、することもないので町歩き。ブルサ行きのバスは夜行になるみたい。アフロディシアス行きもあるが、ツアーバス状態で高い。他にすることがないのか、デスコが6,7軒あったりする。歩くうち、よくみれば宿のすぐ先が、例の石灰棚に通じているではないか。成程ライトアップされて、昼の入場券を提示すれば登っていけるようになっている。一応、24時間オープンらしい。カメラを持ち、サンダルに履き替え、懐中電灯も持って、いざ登頂開始。
途中から、石灰状態になり、登るにつれ、温泉らしきぬるま湯がジャラジャラ流れているところが増えてくる。ある程度登ると、町が眼下に見渡せ、なかなかの眺め。ライトに照らされた石灰棚も神秘的でよい。ここは結構大したことなかったと言ってた人が多かったけど、なかなかどうして、見モノではないか。もっとも、暗くて周りはよく見えてないんだけど。登り登っていけば、夕方来た遺跡のあるところまで出たではないか。道理で、ドルムシュを利用する人が少ないわけだ。実は、登れちゃうのだったのですな。こんな時に限ってバカメラ電池切れにて画像撮れず。ちと険しくはあるけど。さて行きはよいよいであります。降りていったはよいが、元来た道がよくわかんなくなってしまった。やば、ちと焦りだし、こうなったら頂上へ戻って、まだ走っているはずのドルムシュを拾うかと登っていくと、行きの際、前方にいた白人カップルが降りてくる。彼らに“道わかる?”と聞くと、わかるそうなので、後をついて行くことにする。そこで初めて知ったけど、石灰の上は土足厳禁だったのでありました。ここ、景観破壊が深刻で、以前はプール上になっているとこに湯を流して浸からせたりしてたのだけど、そういうのは一切やめて今は眺めるだけになってるとか、ガイドに書いてあったっけ。夜で見えないから、サンダルでズカズカ登ってもお咎めなかったわけか。でも、これ裸足だとかなりキツイっすよ。帰りも、ところどころサンダル履いて歩いてしまった。どうにか帰還。ベルギー人カップルに礼を言って別れる。
こういうところだから、あまり通信環境は期待してないが、ニュースが気になるので、宿から2,3軒先のホテルのネット・カフェへ。日本語表示はオッケー。テロ絡みは特に動きなしだが、外務省は改めてアフガンからの帰国勧告を出していた。やっぱりあの辺なんかねえ?何か、タリバンはテロへの非難声明を出してるって話だけど。一方、NFL、2週目試合中止決定ってことは、アレ、もう始まってたんだ。慌てて開幕週の結果をチェックする。ラムズ、フルーティのチャージャーズ、パッカーズ、レイダースと贔屓所は順当に勝利。昨年のスーパーボウルQBトレント・ディルファーはシーホークスのバックアップQBに収まったか。と言うような割とどうでもいい情報を見つつ12時近くまで。宿の隣の店でワイン1本買う。ヤクートを買おうと思ったら高かった(6.5ミリオン)ので、兄ちゃんオススメの3.5ミリオンのを。少し飲めば水のペットボトルに収まるだろう。宿のお部屋、極めて静か。そろそろドミでワイワイもと思ったのだけども。日本人ともしばらく話してないなあ。東部に行けば、ますますだろうね。
本日の出費:パムッカレ行きバス代700万L ドルムシュ40万L パン75万L スープ100万L ジュース50万L 水25万L トイレ25万L
アイラン40万L パムッカレ行きドルムシュ75万L ワイン350万L ネット+チャイ200万L パムッカレ入場料400万L 温泉プール500万L ドルムシュx2 100万L 計2680万L

・9月14日(金) パムッカレ 2日目 やはり西部のクライマックスはココ
宿は静かであった、蚊の羽音以外は。ホント、トルコに来て以来、蚊には悩まされている。マラリア・エリアではないから、刺されても何てこたないんだけど、やたら刺されるし、眠りを妨げられる。ほとんどの宿にエアコンというものがなく、暑いから窓を開けないと寝られない。しかし、開けると蚊が、となる。本当はインドとかバングラとかヤバイエリア用に蚊取りマットを持ってきたのだけど、既に結構使ってしまっている。一方、頼みの蚊帳は、吊るのが難しいときている。文明国トルコなんだから、蚊取マットに類似するもの、或いは線香はないものか、探してみなくては。
とまれ、9時に朝食に出て、その後はしばしウダウダ。早く出てしまうと、時間があまりそうなので11時頃ようやく出る。宿の人に、“上に昼食べられる場所ある?”と聞くと、あるけど高いから弁当持ってった方がいいと言われ、サンドイッチを作ってくれる。もっとも、そのお代の4ミリオンってのも充分高いと思うけど。いざ、昨晩も登った石灰棚へ。入口でチケットを見せると、有効期限は24時間だみたいなことを言われる。「歩き方」では2日と書いてあったけど。ま、どうにか入れて、今度は裸足で痛いのを堪えつ登る。プール状になっているところは入っちゃいけないと書いてあるが、水着姿の白人連中、お構いないしに浸かって記念写真なぞ撮っている。たまに係のおっちゃんが笛を鳴らすけど、一人ではガードしきれないみたい。水着姿なのは、日本的感覚で言えば、まず水着姿は晒さないであろうスタイルのおば様たちが多いが、たまにカッコイイお姉さんもいらっしゃる。
景観保護のためと言うか、要は乱開発のために温泉が涸れてきてしまったため、今は、原則プールに入るのは禁止ということで、観光地的な魅力は半減してしまったようだが、それでも尚、ここの景観はなかなかの見物だ。プール棚は、どうみても人工的なものに見えるのだけど、自然が作り出したものらしいし。上から見下ろす石灰棚は、やはり絶景であります。眺めを堪能した後、登りきってからは、今度はヒエラポリスの遺跡群が待っている。この遺跡がまた、相当な広範囲に及んでいる。劇場等一部は、かなり保存状態もいい。墓地や棺が相当数残されている。じっくり見ると2時間位かかりそう。半分位見たところで、日陰でサンドイッチを食べる。ここも修復中のところが多く、作業にあたるおっさんたちが昼休みで、遺跡の間で寝転んでいる。遺跡で昼休みってのも何か贅沢でいいね。大きな門や劇場周辺は団体バスがグチャーと乗りつけてきているが、それ以外の場所は人も少なく、自分一人でゆっくり見られて気分がいい。異国の空気を満喫する一瞬。あんな事件さえ無けりゃあねえ・・・


何だかんだ、やはり見事な石灰棚の眺め
一通り遺跡を見た後は、出土品を収めた博物館。あまり大きな規模ではないものの、出土品はなかなか立派なもの多し。あの石灰棚の奇景に加え、見事な遺跡群まである。以前よりは廃れたとはいえ、やはり、ここパムッカレは、トルコ西部観光のクライマックスの一つと言えるのではないか。例えば、オリンポスみたいな、あんまり日本人が行ってなさそうな場所は、やっぱやったぜぃ見たぜぃと思うけど、ここみたいに皆が見ているお馴染みのとこでも、やはり見てよかったなあとは思うもの。要は必見ってことですね
。


遺跡のほうも負けてないっす。左:墓系が豊富。右:石灰の中の遺跡ってのもなかなか
その後は再び温泉プール。入口前に、各国の新聞を売っている露店が。2日前のだけど、まさにテロの瞬間を伝える日経新聞があったが、7ミリオンもする。おっさん、後で返してくれれば6ミリオン返す、つまり1ミリオンでレンタル可というので、プールサイドで読むべく借りる。日中なので、プールは混み混み。でも、ここはレベル高めの水着お姉さんが割といる。勿論、関取クラスのおばちゃんもいっぱいいらっしゃるけども。意外に日本人見かけない。30分浸かった後、2ミリオンの高いビールを飲みつ、2日前の日経読む。この時点では事件をダイレクトに伝えているだけで、それ程情報量なし。CNNでは、2機目が突っ込むところを生でやったらしいから、あな恐ろしや。でも、映像見てみたいっすね。再び30分パチャパチャやって出る。
新聞のデポジットはしっかり戻って来た。すぐ横に、例によって?小さな日本人女性4人組が。僕を見かけると、“あ、日本人だ”と言って、例の事件のことを聞いてくる。曰く、トルコのどっかに米軍基地があってヤバイとか何とか。そういえば、さっきから、上空をブンブン戦闘機が飛んでたけど、結構キリモミしたりとかしてたから、単に演習なんだろうと思うけど。何でも、今回のテロにイランやエジプトも絡んでいたとか云々。それが本当ならエジプト行きヤバイなあ。慌てふためく彼女らを尻目に“とりあえずトルコはは大丈夫なんじゃないすかぁ?”なぞと言う僕。どうも危機感の感覚が違うようで、彼女らは、“日本大使館に電話しよ、しよ”と言って去っていった。ウ〜ン。
しかし、トルコに米軍基地があっても、それをどっかが攻撃するってことはないでしょ。イスラムの同胞がってことはあり得ない。問題は、アメリカが報復措置に出た場合で、もし米側がイランやエジプトがグルと見なして、それらの国を攻撃するとなると事は厄介になる。数年前にエジプトの観光客が襲われてしまったようなことが起こりかねない。要は、ぼくが今後行く国がどうなるかだよね。それと、日本が自衛隊でも派遣して報復の片棒を担ぐことになるかどうか。とにかく、米軍の報復はこの1週間以内に確実にあるだろうから(無いと、世論が黙っちゃいないだろう)、その影響を見るしかないだろう。とりあえず、この後しばらくはイスタンブール、そしてアンカラ、カッパドキア周辺と、少なくともネットでの情報収集は問題無さそうなエリアなので、そこで様子を見るべきだろう。ただ、基本的にトルコは問題無しとは思うので、少なくともトルコ東部をまわる1ヶ月の旅は続行の所存であります。因みに僕の親、息子が中東にいることは知りません。
再び石灰棚を降りて宿へ戻ると、一家のちょい早めのディナー・タイムに遭遇し、お茶をご相伴になる。この宿、おっさんも何だが、すごいカン高い声で喋る太ったおばちゃんがまた面白い。娘達はやはりシャイめだが、子供たちはとても人懐こい。ファミリー・ランの宿ってのはホノボノしてていいっすね。しかし、ニュースで例の事件の続報らしいのをやっていて固唾を飲んで見守るが、おっちゃん、テレビドラマか何かにチャンネル変えてしまう。もう、緊張感の無い人たちだねえ、まるで旧勤務先社員たちみたいだぞ。
シャワー+洗濯の後、町を歩いて、バスの値段チェック。アフロディシアス行きは、どこも10ミリオンみたいなので、例のおっさんのとこでいいだろ。ブルサ行きはあまり扱ってるとこがなく、結局、パムッカレツーリズムで、13ミリオンで夜行を買う。ぼられてんのかどうかはわかりまへん。帰りに前から気になっていたマルマラ34なるブランドのビールを買って、部屋で日記つけつ飲む。このビールは、エフェスとか他のに較べて安い。度数5%だが味はサッパリ系。個人的には、エフェスよりも、軽めのトロイの方が好きっす。それにしても、ここの蚊のすごさたるや。もう8匹位殺してるのに、まだ頭上には数匹が。夕食時も食われまくる。因みに今日のディナーは、コーン・スープにサラダ、ピラウ、チキンのソテー、メロンでありました。
昨日は並びのホテルのネット・カフェへ行ったのだけど、この宿の1台だけあるPCは日本語打ち可とのことなので、今晩はこちら。しかし問題が。なぜかDOS−Vフロッピー受け付けず、初期化しようとする。ダメだこりゃと、また隣へ。自分のブックマークを登録できるサイトというのがあるので、それをトライするが、どうもここら辺のPCは暗号化に未対応みたい。銀行のサイトとかも見られないのだろうな。宿へ戻ると、日本人が飲みに来ている。テロの件の情報収集も必要なので、久々に日本人としばし話す。公認会計士試験の結果待ちで旅してるそうだけど、なかなかキャラクターの面白い人。宿の子供もすぐ懐く。何でもカッパドキアとかは、免許提示なくてもスクーターや車借りられるそうだ。そんなことなら、フェティエで借りてればよかった。12時過ぎまで話しこみ、さすがに宿のおじさんが寝たそうなので、お開きにする。おっさん、しきりに“ホント、ホント”とか“エー!”とか日本人マネをかましておりました。
本日の出費:博物館100万L 温泉プール500万L 温泉プールのビール200万L 新聞レンタル100万L ビール60万L
ブルサ行きバス切符1300万L ネット75万L 計2335万L

・9月15日(土) パムッカレ 3日目 栄えある遺跡一等賞は!?
結構ギリギリに起きて朝食、チェックアウト。今日の夕食の分も含め、都合30ミリオン払った。ブルサでおろさないと辛いかも。9時ちょいにバス乗り場へ。アフロディシアス行きのバスに乗るため。乗客はフレンチらしい2組に、後でわかるのだけどアメリカンのカップルと僕、計7人。1時間半超の道のり。アフロディシアスの入場料は4ミリオンと、ちょい高め。博物館は別に4ミリオン。バス代が10ミリオンと、今日は金が減る減る。
アフロディシアスは、是非見てみたかった遺跡だ。教会やアゴラを過ぎると、例によってだけど、劇場がある。ここの劇場は、保存状態では、今までの中でもピカ1。ウディ・アレンの映画「誘惑のアフロディーテ」に出てきたのは、ここだったと思う。ここ見れば満足って感じなんだけど、まだまだもっとすごいものが後に控えていた。


左:テトラピオン、右:映画「誘惑のアフロディーテ」に使われたとおぼしき劇場
劇場とは別に小さなオデオンもあり、こちらも保存状態良好。神殿等も含め、範囲も広い。規模で言ってもエフェス並。惜しむらくは、立入禁止エリアが多く、遠巻きにしか眺められないとこがあることだ。それでも見応えは充分。因みに、ここはローマ&ヘレニズム系の遺跡であります。そして、クライマックスはこの後。スタジアムであります。登ってみて仰天、想像以上の大きさ。こ、これはまさに「ベン・ハー」の世界。3万人近くを収容可というスタンドもきれいに残っている。これは掛け値無しにすごい。これで決まり!トルコ西部の遺跡1等賞はエフェスではない。ここ、アフロディシアスに決定!!我がデジカメは、実はパノラマ・モードってのがあって、3枚に分けて大きなものの概要を収めることが可。あの、無声映画「ナポレオン」の3面スクリーンみたいな感じ。しかし、ここはあまりに大きくて収まらなかった。ひたすら感嘆するのみ。エフェスとかよりも見物客は少ないが、ここは本当に来てよかったぞ。


見よ、このスケールを!“ジャンジャンジャ〜ン”と「ベン・ハー」のテーマが聞こえてきそうではないか!
ここで戦車競争が見てみたいぞ!!
後に控えしテトラピオンも立派なもの。1日で16mbのCFカードを使いきってしまった。11時ちょいに着いて、2時までの数時間なのだけど、ここばかりは、いつまでもとどまっていたい気持になった。まだ1時間あるので、結局博物館へも入る。こちらは規模は小さいが、出土品は見事なものが並ぶ。ホント、ここは穴場っす。穴場にしてベストっす。唯一の難点は食事の場所が無く、アイスしか食べられなかったこと。お弁当を持ってった方がよいでしょう。時間が10分位余ったので、もう一回スタジアムへ。すると、たまたま誰もいなくなっている。そこで、端の登場用の穴から出て、歓声に応えるごとく手を振る。気分はグラディエイター。そして、走ってロードを1周して、思いきり叫んできた(何と叫んだかは内緒です)。これで思い残すことなし。
帰路、バスは近くの食堂に寄り昼食。英語使いカップルはアメリカンだった。しかも男の方はニューヨーク在住。両親や兄弟もNY在住だそうだが無事だったそうだ。彼らは、友人結婚式のためフィンランドへ行くという。帰らないのか?と聞くと、かえって飛行機が大変そうだから、もう少ししてから帰るという。NY在住の人だって帰らないんだからねえ。確かに深刻な事態ではあるけど、昨日の日本人女性たちの騒ぎようはナンセンスだと思う。でも、僕の方は問題。行く予定の地を考えると、シリア→たぶんOK、ヨルダン→ややヤば、エジプト→ヤバ、イラン→ヤバ、パキスタン→大ヤバ、といった状況だ。他の地へ行くにしても、資料も準備も出来てない。いつまで続けられるのかねえ、この旅。気分ブルーになってきた。
4時過ぎにパムッカレへ戻り、宿で一休みした後、まだまだ時間があるので、カラハユットへ行くことに。シャワー代わりに温泉浸かろうというつもり。バス来ないかなあとトボトボ道を歩いていたら、やってきた。「歩き方」掲載のヘラクルス・テルマル・センターというとこへ。宿としては5,60ドルの高級どころ。温泉は6ミリオン。シャワーを浴びてプール上の温泉へ。38度とかなり温度高く、長くは浸かってられない。サウナは休止で、ジャグシーと水風呂のみ。しかし、ジジババばっかで、確実にワタクシが最年少。湯に浸かっては休みを繰り返し、1時間位。何せ、時間はタップリあるもんで。シャンプー持ってくりゃよかったな。
近くの食堂でビール飲みつ、帰りのバスを待つ。親切な少年が色々手ほどきを。宿へはちょうど8時着。デナーは、昨日とほぼ同じメニューだったけど、まあいいでせう。今日は日本人も含め、宿へ新規の客がやってきて繁盛。食後のお茶を飲みつ、電気も借りて日記。バスのピックは10時45分。更新もできそうだったが、画像が面倒くさいので明日に。何も頼まず長いも悪いので、ネットを借りる。そうこうしていると、昨日の公認会計士さん(まだなってないけど)がやって来て、出発時間まで話す。ネットチェックによると、イランとパキスタンでは邦人の退避が始まったそうな。何でこーなるのかねぇ、行こうと思ってた国ばかりじゃないか。絶望的な気分になってくるけど、まあ後1ヶ月はとりあえずトルコで様子を見るとして、事態の好転を待つとしよう。
指定された時間にパムッカレ・ツーリズムのオフィスへ行くと、お兄ちゃんたちがお車でピック。バスは12時出発。ダブルブッキングはあったものの無事乗りこむ。メチャメチャ眠いので、こういう時はサービスがありがた迷惑。お茶飲んで、さあ寝ようと思うとトイレ休憩とか。2、3回あった。どうも熟睡は無理そうです。一人、この先の行き場を考えて暗澹たる気持になる。まだ旅に出てたかだか1ヶ月ちょい日本を忘れるには時間が短過ぎる。一体、どうやって1年余を過ごせばいいのだろう。オレを受け入れてくれる国は何処に?
本日の出費:宿代2泊+ビール+サンド万+夕食3000L アフロディシアス行きバス1000万L アフロディシアス400万L
博物館400万L アイス125万L 昼食400万L 水25万L ドルムシュx2 80万L
テルマル600万L ネット150万L 計6580万L
→ 夜行バスで ブルサ へ
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