東南アジア旅日記

 ・12月23日(土) ホーチミン → プノンペン プノンペンの夜にびびりっぱなし
 まず昨夜の続き。12時位にようやく日記を書き終え、通信にチャレンジ。プノンペンのAPは接続出来ず、バンコクのも何度か失敗するが、4回目位でようやく接続。サイトの更新そのものはスムーズに行った。メールは時間がかかりそうなので、受信せず終い。ホットメールでの受信方法がようやくわかったし。で、通信料金なのだが、やっぱり47ドル相当かかってしまった。接続成功分は20ドル程度だったけど、失敗分もしっかりカウントされていた。一発で接続出来れば、こんなかかんなかったのにねえ。ともあれ、ヴェトナムでの便秘は終わった。6時ちょいに起きるが、フロントに、昨日のうちにチェックアウトは早いよ、と言っておいたので、律儀にモーニングコールをくれる。荷物をまとめて清算。リーズナブルなので、部屋のかっぱえびせんとジャックフルーツ・スナックとガムをもらうが、1000D位多かった感じ。でも、間違えておつりは多めにくれたみたいだし、何より、ここは部屋だけでなく、フロントの対応やサービスも極めてよかったので、大いに推薦しておきませう。ブイ・ヴィエン通りのドングA1ホテルっす。

 さて、カンボジア行きのバスに乗るのだが、生憎、向かいのジュース屋はまだ閉まっている。屋台のバナナを2000Dで買って、残りのミカンと共に朝食とする。バスは、何だかジモティが多い。小さ目のバスで、座席数も少なく、どうにか座れたが、後から来た白人連中は、みなパイプ椅子に座らされる。日本人は他に3人。小さい地味な女の子二人と、隣の男。ところが、この男、全然言葉を発しない。プノンペンの怖い話しを色々聞かされてびびっているところで、情報が欲しいところなのに、こういう時に限ってロクなのに当たらない。7時に出発して、ヴェトナム側の国境の町モックバイには、3時間弱で到着。食堂で、サービスの麺を食べる。早速、寄ってくる闇両替。不安だったので替えるが、23000D位がカンボジアのリエルで5000位。1ドルは3500リエル位らしいけど、これは少なかったんじゃねえか?

 いよいよ緊張の入出国。まずは出国だが、時間はかかったがパスポートを見る程度でスムーズに行く。スパイシーな顔のおじさんが日本語で話しかけてくるが、元・埼玉県川口市在住のパキスタン人。完璧な日本語を話し、大の巨人ファン。今はラマダン(断食月)で辛いとこらしいが。隣の日本人より、余程、親しみを感じる。入国というよりは、出国の延長ぽかったけど、荷物検査がある。バッグを開け、中身を出させられるが、下半分の衣類軽量ゾーンのみ見たら、オッケーになった。パソコンその他の電子機器ゾーンはノー・チェックで済む。しかし、入国の方で、またチェックがあるのかも。今度は入国だろう。屋台みたいなとこで、カードを書かせられ、パスポートをチェック。しかし、2,3箇所でパスポートを見せたところで、入国は終了になったみたい。わがPCは、無事、カンボジア国境を越えた!ホッと胸を撫で下ろす。

 この先は、プノンペンの伝説的安宿、キャピトルのバスに乗り換え。2台に別れ、こちら側は、日本人3人に、先程のパキスタン人、子連れのフランス人夫婦、韓国人夫婦といった顔ぶれ。また無言のあいつの隣になる。もーええわ。しかし、ここからの道がすごかった。久々の超ガタガタ道。舗装はされているが、穴ぼこだらけというやつ。こういう道を延々走って行くと、つくづくは車っていうのはすごいなあと思う。こんなに飛んだり跳ねたりしていても、ぶっ壊れない(いや、ときどき壊れるだろう)のだから、大した物。ブリジストンは何かと問題になっていたけど、こういう道で、そうそうパンクしないで持ちこたえるタイヤもすごいなあと、妙な事に感心する。風景は一転して、ラオス的な貧しい家々が並ぶ。水辺が多く、水上家屋も多い。田んぼや水牛が多く見られるのは、ヴェトナムも同じだが、こっちの方がよりゆったりした感じがする。意外に、子供たちは人懐こく、バスに向かって手を振る子が多い。カンボジアという国、実は、ラオスみたいな国なのかもと、思わず笑みが浮かんできた。

   12時に昼休憩。1ドルの焼き飯を食べ、夕方まで何も食べられず、気の毒なパキスタン人と談笑。もうすぐラマダンも終わりなので、だいぶ馴れたという。プノンペンには2時3時位に着くのかと思いきや、実は、実質10時間以上の道のりになるらしい。到着時間は6時とか、ヤレヤレ。それまで、ずーっと、この悪路が続くわけか。ただ、ジモティ組が降りて、だいぶスペースに余裕は出来る。また2時間位走って、どうやら、メコン川らしき川を、バスごとフェリーに乗って渡ると言う。フェリーが来るまでの待ち時間、バスを降りると、物売りや子供が寄ってくる。ヴェトナムの連中程しつこくはないが、買わないでいると、値段が下がってくるあたり、交渉はここでも必要なのだろうか?もう勘弁してくれ。単に、リエルの持ち金が少ないから、何も買わずにいるが、バッチイ子供が寄ってくる。露骨に物乞いというわけではないが、見るからに貧しそう。特に、フランス人の金髪子供が珍しいらしく、バスは子供たちに囲まれる。ニカニカ笑ってはいるが、やはり見ていると物悲しい。天真爛漫な感じでは、両者は同じだが、全く何不自由無く育っていそうなフレンチ娘と、不自由という感覚さえなさそうなカンボジアのガキんちょ。あまりに違い過ぎる。日本人女性二人組は、売り子の売っているよくわからない食べ物を買ってキャーキャー言っているが、僕とパキスタン人は、パンツだけの子供を見つめて、お互い顔を見合わせる。ついつい子供に、バナナとガム1枚をあげてしまう。それがよいことなのかどうかはわからないけど。

 フェリーはあっけない程早かった。再び、田園風景の中、ガタガタ道を走る。パキスタン人は、食べ始めてもいい日没をひたすら待っている。先程も、ラオスのような家々と書いたが、あの子供たちの様子を見ても、何かが違う。ラオスの子供たちは、貧しそうでもニコニコしていて、別に物をねだったりしてはこなかった。ラオスの日記で、貧しくても、彼らはあの生活に満足しているのではないかというようなことを書いたが、何だか、本当にそうなのではという気がする。同じような風景でも、何か、カンボジアの場合は、哀しさが漂うのは気のせいか。そうだ、この国も、やはりかなり貧しい国なのだ。しかし、単に素朴な貧しさで済まないのは、内戦が残した傷故だろう。夕陽に染まる風景に、何となくしんみりした気持になる。ようやくプノンペンが近づいてきたらしいが、この辺は郊外にも寺院が多い。それも、なかなかのスケールで、デザイン的にも目を引くものがある。勿論、バンコクにも寺は多かったが、信仰心無い身には、あまりピンと来ない建物が多かった。しかし、ここの寺は、一味違う。これは、アンコール・ワットが楽しみになってきた。

 6時過ぎに、ようやくプノンペン市内、キャピトル・ゲストハウスの前に到着。パキスタン人と握手をして別れる。宿は、キャピトル・グループの中でも一番新しいところに行くが、シングルはフル。次のもフルで、4軒目のキャピトル隣のハッピーというところで、ようやく落ちつく。ガタガタ・バスに揺られ、埃を浴びたから風呂付きの部屋にする。しかし、ここの部屋、典型的な安宿のそれ。入った途端、マリファナ臭い。おまけに、風呂っつっても水シャワーだけだし、バッチイし、なぜか洗面台がない。窓がある分キャピトルよりはいいのかも知れないけど、伝説の安宿のレベルはこんなものか。通り過ぎるだけのとことはいえ、これはちと虚しい。でかいゴキブリもいたし。少なくとも、ヴェトナムは宿のレベルだけは、かなり高かった。少しは見習って欲しい。

 早速にキャピトルのレストランへ行き、明日のキリング・フィールド行きと、明後日のシェムリアップ行きボートを予約。夕食もそこで。その名もアンコールというカンボジア製ビールを頼む。ヴェトナム南部同様、タイガーも多いが、バイヨンなる地元ビールもある。鶏肉と野菜の炒めメシを頼むが、まずまず。ついでに、そこで両替も。成程、ここで全ては事足りるわけだ。つるんでいる日本人、一人の日本人と色々いる。本当は、1km位先にあるアイリッシュ・パブに行ってみたいのだが、今日のところはやめておこう。何せ、明るい道は安全ったって、全体的に明るくないんだよね、この辺。メシ食った後は、宿の下のネットカフェ。ホーチミンのカフェより速度は速く。久々にメール送ったり、カオサンの荷物預かり所についての情報を求めた、旅の掲示板等をチェック。45分位やって、8000リエルというのは、高いのか安いのか、まだよくわからない。因みに、夕食は8000リエル。ネット・カフェで、2000リエルのバイヨン・ビールをもらって、宿へ戻る。まだ8時半。都会なのに、ラオスにいた時のような大人しさ。汚ねえベッドには蚊帳がある。窓は隙間があって、明らかに蚊が侵入してきそう。生まれて始めて蚊帳をつって寝る。あちこちかゆいのは、一昨日の宿にダニがいたか、あるいは、昼の子供に蚤でもうつされたか、はたまた、ここのベッドに南京虫なんぞ・・・?

 ・12月24日(日) プノンペン 2日目 クリスマス・イン・キリング・フィールド
 そう、今日はクリスマス・イブなんでありました。言われなければ気がつかないという、この状況。日本では盛り上がっていることでせうなあ。そのイブの平和とは裏腹なる、このプノンペンにて、別にひねくれたわけではないけど、今日は、キリング・フィールドを見に行くツアーへ参加。朝6時頃に、外の物音で目が覚める。朝食がてら朝の散歩。いくら何でも朝は大丈夫だろうから。メイン通りをしばし歩くが、取りたてて何もない。宿周辺へ戻ると、近くに市場がある。食べ物がないかと歩くが、ビーフンや中華ばかり。コーヒーが飲めそうな屋台を見つけたが、とりあえず、食料の確保が先決。フランスパン・サンドイッチの屋台を見つけ、2000Rで購入。それで、さっきのコーヒー屋台を捜すが、どこかへ行ってしまっていた。仕方なく、汚ねー部屋でモソモソ食べる。

 集合時間に、キャピトルへ行くと、昨日バスで一緒だった韓国人夫妻と再会。“アニョハセヨ〜”と挨拶を交わすと、彼らも、同じツアーへ行くという。バスは他に、白人3人、日本人一人。ガイドのお姉さんがつく。ガタガタ道を走ること30分強。“殺戮の原野”へ。映画のタイトルでも知られるここは、ポル・ポトの粛清に会った人々が処刑の為に連れて来られた場。まず、寺院のような塔が目に付くが、そこには、年代別の骸骨が10段位に渡ってつまれている。一番下には、衣服の切れ端。もう見るだけで、かなり不気味な様相。とてもじゃないが、近づいて写真を撮る気にはなれない。更に、いくつかある穴ぼこを見るが、そこは全て処刑の場所。首を切られた死体の置かれた場所、子供たち専用の場所等々。しかも、途中には、衣服の切れ端がところどころ散らばる。確かに、おぞましい事実を風化させないという意味では、直接的である方が効果はあるだろうが、ちと悪趣味という気がしないでもない。ガイドの人のお姉さんも犠牲になったとか。考えてみれば、たかだか20数年前の話。アウシュビッツよりも、全然、身近な出来事なのだ。一通り見終わった後、参加者同士でしばし話す。韓国の二人は、軍人大統領の時代に、学生運動で闘った同士だそう。いわば、韓国の全共闘世代(ちと違うか?)。一方、一人で参加していた白人女性は、北アイルランドの出身。故に、それぞれ問題意識は高い。南北朝鮮の、米軍の役割の話などになって、ついついこちらも調子に乗って、沖縄の話題など出すと、北アイルランド人につっこまれ、英語力の問題もあり、シドロモドロになってしまった。

 ポル・ポトの時代は、とにかく狂気の一言に尽きる。国の元首が、自国民の3分の1を殺してしまったなんてことは、歴史上類を見ないだろう。ヒトラーと並ぶというか、それ以上のおぞましい事実だ。しかも、内戦はその後も続き、その負の遺産が、銃器の氾濫、プノンペン市内の治安の悪化という形で残されている。今回、こんなビクビクしなくちゃいけないのも、内戦故ということが言える。気鋭のイギリス人プロデューサー、デヴィッド・パットナムの製作した映画「キリング・フィールド」は、アメリカ人ジャーナリストと、ガイド役のカンボジア人の友情を核に、この時代を描いていた。実際にポル・ポトの粛清の中で、生き延びたハイン・S・ニョールという人が、ガイド役を演じ、アカデミー賞助演男優賞を受賞した。しかし、彼は、確か2年前位に、アメリカで強盗に襲われて命を落としている。大虐殺を生き抜いていながら、一人の暴漢に命を奪われるというこの皮肉。午前中のみという短さだったが、キリング・フィールド見物は、気分をグッタリさせるには充分だった。

 韓国人夫妻が、ツールスレーン博物館を見たいと言うので、バスはそこへ。本当は、ジンロを持参しているという彼らと、一日行動を共にすることも考えたのだが、ちょっと、更に、悲惨な展示物を見る気にはなれず、宿へ戻る。同乗していたもう一人の日本人と、市場で昼食を取ろうということになる。彼は、地元・香川県の役所に就職が決まっているという大学生で、既にアンコールを見て下ってきて、これからヴェトナムへ行くそうだ。彼も初めての旅で、プノンペンには多いにびびっている様子。しばし歩いて、ようやく市場内に、おかず選び食堂を発見。豚肉の焼肉、野菜の煮物等3品をシェアして8000Rだった。ヴェトナムで控えていた分、細かいものをここで買う。先日ぶっ壊れてしまったので、電熱器を買う。ちゃんとテスターでチェックしてくれた、2500R。しかし、テッィシュも同額というのは、ここもボリがあるわけ?そこで出会った日本人も、明日の船でシェムリアップへ行くという。韓国人夫妻も含め、顔見知りは増えた。

 更に、大学生と共に、王宮へ行ってみる。あまり見る気はなかったのだが、子供たちによる伝統舞踊が見られると聞いたので。迷った末、2ドル払って入る。しかし、さすがにここの豪華さはなかなかの見物。ちょっとタイ風の建築様式で、アンコールあたりとはだいぶ違う。ヴェトナムは、どちらかといえば中国寄りの印象だったが、カンボジアはタイ寄りの印象だ。子供たちの踊りも見れた。音楽もタイの伝統音楽に似ている。もっとも、カンボジアは、タイからも侵略を受けていたはずで、ヴェトナム程でないにしろ、タイのことも嫌ってはいるのだろう。途中、日本大使館があり、掲示板には、また物騒なことが色々書かれていた。ヤレヤレ。

 そこからシアヌーク通りという大きな通りに出ると、移動遊園地みたいなところがある。更に、その先の川沿いには展示場のようなところがある。よく見ると、ここで夜にコンサートが開催されるらしい。開演は6時。しかし、ここは宿から2km位の距離。帰りの足の不安もあったが、料金の高さ(12ドル)と、何より、あのタイのノーン・カイのコンサートのように、深夜にまで及ぶ可能性が懸念された。プノンペンにびびって、芸能命なはずが、コンサートを断念したとなると、男がすたるものの、結局、諦めた。大学生と飲みにいこうとも、話していたし。あーあ、でもカンボジアのポップ・コンサートか。もう少し日程に余裕があればなあ。

 で、一旦宿へ戻り、暗くなる前に飲みに行こうと、大学生と約束する。シャワーを浴びて、リエル全額と10ドル程度を持ち、後は宿に置いて、手ぶらで外出。まさに、昆明で会ったベテラン・トラヴェラーたちの忠告通りだ。二人ドキドキもので、再びシアヌーク通りへ。ビクビクし過ぎと思われるだろうが、昨日、日本人が刺された事件が実際にあったそうだ。イヤな事聞いちゃったなあ。ロンリー・プラネットによれば、シアヌーク通りには、2軒のアイリッシュ・パブがある。白人エリアとはいえ、久々にギネスの生が飲める喜びには替え難い。で、近い方の一軒目に行くが、何と、生ビール・サーバーは、アンコールとタイガーのみ。ギネスのないアイリッシュ・パブなんて詐欺だぞ。やはり、生ギネスはシンガポールまで無理か。そうだ、旅の最後の夜は、シンガポールでギネスを飲もう、とまあ、それはともかく、もう一軒は見当たらず、早めに断念して、数軒見つけた韓国料理屋へ。しかし、どこも高い。1品5ドルなんて高過ぎ。で、結局、宿の先のメイン通りにあった餃子の店へ。中華なら、そんなに高くはないだろうから。

 しかしなあ、カンボジアくんだりで、あの忌まわしき?中国語を再び使うことになろうとは思わなんだ。ま、シェイシェイとか“多少銭”程度だけど。アンコール・ビールを1本頼み。焼き餃子に水餃子。それぞれ1ドルだが、量も多くいける。何と、ここには缶のギネスがあり、2本頼む。ギネス初体験の大学生もうまいうまいと言っていた。最初は彼もツワモノ系に見えたのだが、話すと、大学の休みの間に来ているだけで、これが東南アジア初体験という。何せ、旅馴れというか旅ずれ?した連中にばかり遭うので、むしろ、彼のような人だとホッとして色々話す。何か、調子にのって、久々に、自分のバックグラウンドを語ってしまったなあ。勿論、若い彼は、僕の勤めていた古臭い会社の存在なんかは知らなかったけれど。締めに、鶏肉と野菜を炒めたのをのっけたご飯を頼む。これもうまく、二人で8ドルの安さ。お茶を飲んで2時間半近く語ってしまった。かれは、明日、南のシアヌークヴィルへ向かうそうだ。またちょっといい出会いだった。

 キャピトルには、一昨日出会ったボヤキ大学生とか、色々な日本人がつるんでいる。宿へ戻り、早速、電熱器を試す。宿近くで、噂のメコン・ウイスキーを発見するが、まだフエで買ったヴェトナム産ウイスキーが残っている。シェムリで買うとしよう。日記を書いていて11時。さて、明日はまた6時前に起きなくちゃ。移動が続くと、朝が辛いすね。さて、明日の今頃には、もうアンコール・ワットを見ているはず。アンコール画像入りクリスマス・メールを、皆さんにお送りすることは出来るでせうか?乞うご期待。 → めざせアンコール・ワットシェムリアップ
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