露・土・印 旅日記
・8月10日(金) ハバロフスク → イルクーツク移動 シベリア鉄道 1日目 ヴォトカ・パーチー初体験!!
起きて朝イチ、歩いて市場へ向かう。今度のシベリア鉄道は車中2泊3日と長いので、食料も多めに買いこまなくてはならない。小さ目のカップ麺を4つ、スティック状のパン5本、チーズ2箱、ガス水1Lx2等々。ハバロの市場はウラジオとは比較にならない位大きく、食料品のみならず、衣類、雑貨類と何でもあり。もっとゆっくり見たかったが、昼までにチェックインせねばならないので切り上げる。朝兼昼食を取る時間が無くなり、街頭売りのピロシキを買いこみ、宿に戻って2つ食べて済ます。ビジネスらしい日本人が2人泊まっていた。それにしても、この宿、日本語オッケーという点は徹底していて、今朝も別のロシア女性がフロントにいたが、この人もまた日本語を話す。12時ギリギリにチェックアウト、宿代はルーブルで払う。タクシーを呼んでもらい、駅へ。
しかし、駅へ着いたはいいが、自分の乗る電車がどのホームから出るのかわからず往生する。係員らしいのに聞いても“ニ・ズナーユ”(“知らん”の意、中国の“メイヨウ”と並ぶ冷たい響きを感じる)である。そこで仕方なく地下の掲示板のところへ戻り、仔細に眺めてみると、列車のナンバー、目的地、発車時間、そして到着ホームの順に書かれていることがわかる。ホームは、どうやら電車が到着するギリギリまで確定しないようなのだ。よく見ると、午後2時17分発の僕の乗る列車も、出発時間は2時50分と、既に遅れが出ている模様。これは、他のロシア人に倣ってホームの番号が表示されるまで、気長に掲示板前に陣取っているより他あるまい。それにしても今回の旅、列車内も含め、ただひたすらボーっと待つことが何と多いことか。
列車出発20分前位にようやく4番ホームの表示が。15番の車両に乗りこむが、どうもよくわからないのが、自分の乗るコンパートメントのナンバー。前回はイレギュラーな列車故、お好きなとこにってことだったのだろうけど、本来は決まってるらしい。でも切符ではよくわからない。でかい荷物を持ってウロウロしていると、不機嫌しょうな女性車掌が、シブシブといった感じで案内してくれた。同室は、やはり旅行者らしき若い男女3人組。最初に言葉を交わしたのは、カムチャツカ出身のロシア人のゲーナ。ロシアで人気のアニメ「チェブラシカ」に出てくるワニと同じ名前だ。21歳の学生だそうで、アンディ・ガルシア+クリスチャン・スレーターって感じで、愛嬌のある顔。ゲーナの彼女と言うよりお姉さんみたいなのがアドリナ。ボーイッシュなショートカットでキビキビ動く。ゲーナとはロシア語で話し、もう一人とはフランス語で話し、英語も話す。ドイツ語、スペイン語も堪能だそうで、後で知ったが、彼女はフレンチだった。もう一人のシリルもフランス人で、「グラン・ブルー」のジャン・マルク・バールに似たシャイな青年。僕と同様?求職中だそう。この3人となら楽しくやっていけそうでホッとする。
彼らはウラン・ウデへ行き、そこからモンゴルを目指すそうで、それは僕の当初のプランだったものだ。モンゴルを出て、あの金正日も寄ったオムスクへ行くという。ゲーナは英語があまり話せずフランス語はダメ。一方、シリルはロシア語が話せず英語はそこそこ。従ってアドリナが二人の間を取り持ち、実質上のリーダーは彼女のよう。シリルはミュンヘンで働いていた時の仕事仲間だそう。彼は次はリヒテンシュタインで仕事を捜すなんて言っていて、ヨーロピアンってのは、ホント、コスモポリタンなんだねえと感心する。あちらは紅茶やパンをこちらは日本茶やお菓子(沖縄産黒糖カリントウとか、ちと特殊な?もの)を勧め合い、段々打ち解けてくる。しかし、電車内の時間つぶしの定番は、どこでもトランプと相場が決まっているらしい。僕はどうもこれが好きでなく、敢えて加わらないので、彼らがこれを始めると手持ち無沙汰になる。その間は、ガイドブックを見たり、ボーっと車窓を眺めたりとなる。車窓と言っても、ひたすら草原乃至は森林という風景で、既に前回の列車で見飽きてしまったものだ。そこで、ようやく列車内用に持って来た、井上靖の「おろしや国酔夢騨」の文庫本を開いた。
夏のロシアは日照時間が長い。10時でようやく暗くなるって感じだ。従って、夜の宴が始まるのもその時間ということになる。3人が一斉にテーブルに食べ物を並べ出した。パン、サラミ、トマト、キュウリ、山盛りのイクラ等々。僕もチーズ等を提供。そして取り出だされた、今宵の主役はヴォトカであります。噂に聞いた車内ウォッカ・パーティの始まり始まり。幸運にも僕もおこぼれに預かることに。こうなると、生粋ルースキーのゲーナこそがボス。他のメンバーに飲み方を正しき伝授する。車掌からもらってきたチャイ用グラスに少量注ぎ、まず@誰かが乾杯の音頭をとる。これないで飲むのはただのアル中とのことA互いのグラスを鳴らしB臭いは嗅がずに一気に喉に流し込む。チビチビ飲んだりしてはいけない、あくまでイッキに、だそうだ。ク〜、効くね、やっぱり。忽ち体がカッカしてくる。更にC飲んだ後、すぐに何か食べ物をつまむ、と言うわけで、皆サラミやチーズやイクラに手を伸ばす。そして談笑。これをひたすら繰り返すわけだ。

左:食べ物が並んで、いよいよ始まり。 右:左からフレンチのシリル、ルースキーのゲーナ、フレンチ才女アドリナ

6杯目位でボトルが1本開き、ゲーナが更に1本買ってくる(左画像)。自分の限度は5杯位だろうと思ったが、何だかんだ8杯目までいってしまった。その際話した内容は何だったかよく覚えてないが、とにかく、この初体験やたらに楽しかった。さすがにウトウトしてきて、僕のその様子を見た彼らも寝ようということになったらしい。翌朝見たら、まだ新しいヴォトカは残っていたので、彼らも程なく寝たらしい。深夜2時はまわっていたのではないかな?ウ〜ン、ザッツ・ラッシア〜。爺さんもこれをやったのかなあと、酔いも相俟って勝手にジーンとしつつ、幸福な眠りについたのでありました。
本日の出費:宿代3239R タクシー141R ラーメンx4 31R リンゴx5 5R? ピロシキx5 30R チーズX2 56R
パン15R 水x2 15R? シーツ31.1R 計3562.1R

・8月11日(土) イルクーツク移動 シベリア鉄道 2日目 早くも負傷
目が覚めた時は10時位。まわりの皆はまだスヤスヤ寝てる。で、僕もまた寝る。昼頃になっても、まだ起きない。さすがに手持ち無沙汰で、また「おろしや国」を読む。映画は観たけど、昔の人は大変だったよなあという、ごく当たり前の感想。故国の地を再び踏むまでに7年。今なら、いくらロシアでも飛行機のチケットさえ買えれば、ほんの数時間。まあ、ここは、今でもそういうチケットを買うだけでも、結構苦労しそうな国ではあるけれども。とまれ、みんなが1時過ぎにようやく起き出すが、彼らは既に時計を次のエリアの時間に合わせていて、だから起きたのは11時ということになるのだった。
昼は彼らはまたトランプ。とりわけシリルが好きみたい。従って僕は読書。この調子では、この電車内で本を読み終えてしまう。で、時折、ボーっと風景眺めにチェンジ。出発から1日が経過した頃、比較的大き目の駅で15分程度停車しそう。で、初めて駅に降りてみる。食べ物はまだあるので、ただ降りて眺めただけで何も買うわけでもなく、客車に戻ろうとしたら、鉄道の係員らしいオヤジに止められる。ウロウロしてる中国人とでも思われたか、“乗るな”と言うのだ。こういう時はびびって、うる覚えのロシア語なんか出てきやしない。ただ、“乗せてくれよ〜”とか喚くばかり。そうこうするうちに出発してしまったら目もあてらんない。こんな時に限って、ゲーナたちや車掌も見当たらない。どうにか、乗りこめたが、係員が追ってくる。で、コンパートメントへ行って、“ここがオレの部屋だ”というゼスチャーをしたら、ようやく去っていった。差別だよなあ、これって。慌てて、単語集で“乗客”という語を引く。“パサジール”だった。気ぃ抜けないよなあ・・・
その話をしたところ、ゲーナらは、降りて何か買いたいような時はヘルプするから、と言ってくれる。しかし、どうも降りるとロクなことがない。夕方頃に停車した際、ゲーナに行こう行こう声をかけられ、走って降りようとしたが、どういうわけかコケてしまった。前につんのめって、膝等を強か地面に打ちつけた。ゲーナらについて食べ物を買いに行こうとするが、血がダラダラ出るので客車に戻る。負傷個所は左膝、左の足の親指、左の掌。擦り傷ではあるのだけど、膝のは結構深くて3mm位はあるか。肉がえぐれてる感じでグジェ〜。当然、結構痛い。こんなに早く使うことになるとは思わなかった消毒薬、バンドエイド等を引っ張り出し応急処置。とりあえず、マキロン塗ってバンソコを張るが、血はまだ出ている。一挙にティッシュやらバンソコやらが減ってしまった。ドジだねえとしか言い様がない。サウナは当分無理すね。傷を消毒していたら、隣のおばちゃんが、何やら中国の塗り薬をくれた。親切な人もいる。
せめてものお楽しみ?夕方頃、グルメの国の住人シリルが、生まれて初めてカップラーメンを食す。ロシアのは主に韓国製。彼らはお湯を入れて何分で食べるのが正しいのかわかっておらず、とりわけゲーナなんかは10分位ほっておく。で、シリルは、手つきだけは、まさにフレンチなそれでカップラーメンをすする。すすると言っても、勿論、日本人のようにズルズルとはやらず、パスタの要領で上品に食べる(しかもスプーンで!)。その様子がおかしくてたまらない。パンをスープにつけて食べたりもして、スープは飲み干してしまった。結構気に入ったみたい。でも、お湯だけは使い放題の列車内において、最早、カップラーメンは、ロシア人にとっても旅の必需品かも知れない。
夜(と言っても12時過ぎ)は、例によってヴォトカ・パーチーだが、傷に障るので少量でやめておこうと思ったが、結局ボトルがなくなる5杯目位までは飲んだ。更にゲーナがビールを買ってくるが、それは半分位しか飲まなかった。至って和やかには違いないが、昼の件といい、コケ(これは自分のせいだけど)といい、まだまだ色々あるわな、ロシア行。
本日の出費:ビール・食料等50R
・8月12日(日) イルクーツク移動 シベリア鉄道 3日目 ウクライーナはよくないーな?
鉄道の旅も、さすがに3日目ともなると、退屈の度を増す。食料に関しては、夜はほぼご馳走になってる感じなので、まだカップラーメン等が残っていて、飽きたことを除けば、買い足しの必要はあまりない。しかし、次は、より長いモスクワ行き3泊4日の旅が控えているので「おろしや国」は、少し残しておこうと思う。となると、とりわけ、彼らがトランプを始めるとすることがない。これがシベリア鉄道の旅なんでんなあ。しかし、親切な彼らはウラン・ウデで下車。その後イルクーツクまでは、後7時間はかかる。イルクーツクに着けばまた一人。何となく漠たる不安に襲われる(結果的に、その不安は的中するのだが、それはまた後日)。
ウラン・ウデ到着は8時位かと思いきや、またも電車が遅れているらしく、10時位になるという。ということは、こちらの到着はまたも深夜というか明け方5時になる計算だ。また変なタクシー運転手にあたらんきゃいいが・・・さすがに下車を控えてヴォトカ・パーチーはなし。残った食べ物でフツーの夕食を取る。別れが近づいたので、メールアドレスを交換し、記念撮影。4人で写りたいので誰かに撮ってほしい。で、ゲーナが呼びに行ったのは車掌さん。あの不機嫌そうな車掌がやってくれるかなあと思ったけど、意外ににこやかにやってくれた。やっぱ、同胞には優しいのね。ついでに、ゲーナに、イルクーツクに着く予定時間を聞いてもらうが、ウラン・ウデ着後2時間位と言う。距離的にもそれはあり得ない。アドリナも8時間近くかかるだろうと言う。しかし、車掌が間違えるかぁ?何か意地悪されてんじゃねえか?何か、ロシア、僕の中で今いち信用が置けない国になりつつあるんだよね、既に。
いよいよ別れの時。勿論、彼らには最大級の感謝の気持を告げたが、ゲーナは去り際、「ウクライナはよくないよ、気をつけな」と一言残していった。ウ〜ン。さあ荷物の整理やら何やらやろうと思いきや、入れ替わり、すぐに別の乗客が来てしまった。40代位のおじさんと若いのの二人。一件、粗野な感じの若いのは、ベッドの上段からサンダルを下ろす際、“おろしてくれる?パジャルスタ(プリーズ)”とプリーズつきだったから、それ程粗暴な奴ではなさそう。僕はもう寝モードだが、彼ら夕食だ。寝ているところに、若い方が無理やり腰掛けてきて、人を背もたれ状態にする。目を覚ますと気づいて、“チャイ飲むか?”てなことを言ってくるが辞する。彼らのヴォトカ・パーチーなぞ始まったらやだなーと思っていたが、アッサリ寝るらしい。若いのがトイレでも行くつもりで通路に出ようとすると、ドアが開かない。コンパートメントのドアの鍵を開けるのは、ロシア人でも時折難渋する。既に、何度か遭遇していた僕が手伝うと、ドアはうまい具合に開いた。これで少し男を上げて?若いのもこちらのベッドには腰掛けなくなった。後は寝るだけ。
5時着を予想して4時に目覚ましをかけたが、あまり眠れず。車掌が切符を返しに来たのは5時過ぎだった。てことは到着は、6時近く。ねっそんなもんすよ。他の二人は寝ている中、一人駅へ降り立つ。意外と降車する客は少ない。でも、どうやらそこがイルクーツクみたいだ。声をかけてくるタクシー運転手をかわし、自分で信頼出来そうなのを捜す。でかくて実直そうなのを見つけ“アメリカンスキー・ドムを知ってるか”と聞くと、“ダー”。100Rで手を打つ。しかし、繁華街とは逆の方角で結構遠い。あまり便がいいとは言えないロケーションにあるみたい。しばらく行ったとこで、ガイドに記されている通り、「19」と表示された民家が。ハバロのホテルから予約してもらったアメリカン・ハウスに相違ないだろう。時刻はもう朝6時過ぎ。駅で表示されていた気温は12度で、結構寒い。3日ぶりの休息を取るべく、呼び鈴を鳴らすが・・・・
本日の出費:アイスクリーム5R タクシー100R 計105R
→ イルクーツク は災いの町?
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