[PR]子育てママさんへ:3年毎に15万円うけとれる女性保険?
東南アジア旅日記
・11月22日(水) ヴィエンチャン → ヴァン・ヴィエン 愉快なバスの旅と平和なアウトドア天国
何だか明け方に目が覚め、睡眠は今いち。それでも8時ちょいに起きて、チェックアウトの準備をして、朝食を取りに。いつぞや女子大生?に会った近所のパン屋の隣のパン屋で。パン3つと今度こそコーヒー。戻って大便を済ませてチェックアウト。宿の人は暖かく見送ってくれた。この宿の評判の良さは、とにかく、このフレンドリーさと、掃除が大変マメで行き届いている点か。がんばって歩いて朝市側のバス・ターミナルへ。しかし、思ったより距離があって疲れる。市場側で、昼食用の中センウイッチ2本を買う。切符売り場に行くが、バスの中で買えと言われる。聞いていたより高く、6000k。
バスは既に満杯近く。運良くフランス人じいさんの側が空いていた。しかし、後から来た白人パッカーはお立ち見。それでも更に客を乗せる。いやしかし、このバス道中の面白い事。まず、満席のところに乗りこんできたジモティたちは、既に2人座っている席の、わずかの隙間に座り込んでくる。勿論、僕らの隣も。更に、食堂なんかにあるプラスチックの椅子を補助席代わりに使う。立っていた白人パッカーも、車掌らしき人に座れと指示されるが、その車掌、一度座席のシートを、バン、とはずして、外側へずらして、3人が座れるようにする。とにかく、日本的な感覚では理解できないことが色々続く。僕の隣は、またしても若い女の子なのに、狭いもんだから体ピッタリ密着状態である。こちらの人は、あまりこういうことを構わないみたい。隣のフレンチのじいさんは、やたらにはしゃいでいる。
もう満杯というところで、まだ出発時間10分前なのに、バスは出発してしまう。早めに来ておいてよかった!乗り逃がしていたら、午後まで無かったのだ。そしてバスは、タイ歌謡?をガンガンかけながら、快調に飛ばす、と言いたいところだが、早速、ストップ。未舗装の民家が立ち並ぶ狭い曲がり角、どう見てもバスが通るような道ではないところに差しかかった時の事。案の定、バスは曲がりきれず、後戻り。すると、十字路なものだから後ろからも左右からも車が来てしまい、八方塞がり。どだい、こんなとこ、でかい車体で通ろうというのが無理があるのだが、それでも、3度目位のトライでどうにか曲がれました。その後は、2日前に自転車で通過した空港(一応、国際空港だがしょぼい)のある道路を一路北へ。しばらくは舗装路なので、睡眠不足故、ウツラウツラ。その間も、右の女の子の体は密着し続け、左のフレンチじいさんははしゃいでいる。そして、勿論、途中からでもドンドン客を乗せて行く・・・
走り出して1時間半位が経過した頃、後方のおばちゃんが何やら運転手に声をかけた。すると、既に山道に差し掛かりつつあったバスが、林のあるところでストップ。何事かと思いきや、みんなゾロゾロと降りていく。何と、トイレタイムだったのだ。女の子までもが、林にしゃがみ込んで用を足す。驚きましたね。驚きながらも、パッカー勢ともども降りていき、用を足す。ナチュラルでんなあ。その後は、ドンドン山を登って行く。風景がよくなるにつれ、若干、道が不安定に。しばしは、イロハ坂(って、どこにあったっけ?)のような坂を登り続ける。こんな山の中で、というようなところで、結構、降りて行く客がいる。ようやく、余裕で座れる体勢になるが、どうも、予定より早く着きそうな気配なので、サンドイッチは食べず。何だか、盛りあがった丘のような見事な眺めが出現し始め、ちょっとリゾート的な宿さえ見え始めた頃、そこが、ヴァン・ヴィエンだった。案の定、1時間早く、3時間で到着。道中は、素朴な山間の村が続いていて、危険な雰囲気は感じられなかったが、一度だけ、銃を抱えた少年?が二人、歩いていたのを目撃したのは事実ではある。
しかし、こういうとこでっかヴァン・ヴィエン。ここは、ロンリー・プラネット(東南アジア篇)にもちょっとしか出ていなくて、地図も何も無いので、どこがどういうところなのかサッパリわからない。でも、宿は来る途中でもいっぱいあったようなので、とりあえずは、バス停に腰を降ろし、コークを買って、サンドイッチで腹ごしらえ。食べたところで、ルアン・パバン行きバスの切符が買え、バスに乗れる場所はどこかとまわりにいた人に聞くと、500m程度行った先のレストラン手前からバスが出ると言う。とりあえず、そこまで行くが、どうやら、町中も何も、バスが着いたところから、歩いて数百m圏が、ヴァン・ヴィエンの中心らしく、乗り物を使う必要は全く無し。どうせならバス乗り場に近いところに宿をとった方がいいので、そのバス乗り場になっているレストラン(たって、ただの食堂だ)兼ゲストハウスを尋ねるが、生憎、満室。その隣の宿へ行くと、まだ泊まると言ってないのに、おばちゃんが鍵を持ってくる。30000kと、ちと高めだが、どうせ1泊のつもりなのでよしとする。部屋はさすがに清潔で、ちょっとしたリゾート・カッテージ風。シャワー付だが水のみ。ただ、ちとセキュリティ的には難ありの感。とりあえず、水シャワーを浴びて、1本残ったパンを持って、町歩き。
何かここは、本当にリゾート地風。つっても、基本は素朴な山間の村なのだが、白人用店もそこそこ並び、ネット・カフェ等もある。しかし、集落と言えるのは、せいぜい歩いて半径500m程度か。銀行にしろ、病院にしろ、ことごとく、これが?って感じのせこい建物ばかりだ。すると、何やら、浮輪を抱えた白人たちがいっぱいいる。不思議そうに見ていると、“トゥクで川上まで行って、こいつで川を下るんだ。最高だぜい!”とのこと。そう、有料でしかない手書きっぽい地図を見たら、ここは洞窟や滝がいっぱいあったり、川でのスポーツが色々楽しめる地らしい。この地で一番いいホテルのある川沿いに行くと、その眺めは最高。洞窟があるのだろう丘が一望に眺められ、浅めのきれいな川がゆったり流れている。これはいいところだ。ここの存在を知ったのは2日前だが、ここは知られざる(僕だけ?実は、「地球の歩き方」にも少し載っているらしい)景勝地。ここを単に通りすぎてしまうのは、余りに勿体無い。これは、予定変更して、もう1泊すべきでは、と考え出す。

ヴァン・ヴィエンを流れるナム・ソン川
宿を始め、色々なところに、日帰りトレッキング・ツアーの案内が出ている。洞窟や滝や少数民族の村を訪ね、最後は、例の浮き輪で川を下るという。考えてみれば、このところ、ひたすらボーっとして、陽が暮れたらビール飲んで飯食って日記書いて寝る、という日々だったので、久々に、ちとアクティブなことをすっかという気になり、例のツアーを申し込む。30000kというお値段も、チェンマイでのものに較べ、お得ではないか。そのツアーの主催者らしい、フォン氏としばし談笑し、その申し込み先のレストランで生ビールを頼むから、このパンここで食わせてくれと言って、一休み。しかし、市場で買ったそのサンドイッチ、ハッキリ言ってうまくなく、途中で捨てる。とまれ、これでここに2泊することが確定した。
陽も暮れかかる頃、またしばし町を散策。土産物屋で売っているビアラオTシャツを今度こそ買いたい。すると、倉庫みたいなところの前で、ラベルをはがしただけの瓶に液体をつめたものを売っている。“それはラオ・ラオ?”と聞くと、そうだと言って、味見をさせてくれる。ややマイルドな焼酎というところ。半分でも売るというので、2500kで買う。言葉が通じなかったが、あそこで作られているオリジナルなのだろうか?ラオ・ラオ自体は、町のあちこちで売られてはいたが。ニコニコしながら瓶を持って歩いていると、先程のフォン氏が、それは、ひょっとして?と指差す。そう、でも今日は飲まないよ、明日に備えてねと言って別れる。ホントは飲んだけど。先程の川は、橋の途中まで行ったら、この先の反側に行くのは有料だなどと言われたので、別の川を渡れそうなルートを捜して、民家の並ぶ道を行く。それにしても、その民家、高床式の家だが、何とも素朴と言うか、ハッキリ言ってかなりボロくて貧しそうな家ばかり。中心部の白人リゾート風の店とは対照的だ。だけど、あんな暮らしなら、貧しくてもいいんじゃないかな?なんて思ってしまうのは、富める者?の勝手な考えか。
川岸へ降りて行くと、洗濯するおばちゃんや泳いではしゃぐ子供たちの姿も見える(画像左)。何という平和にして素朴な光景。民家の様子といい、何となく戦前の日本のようだ。50年代末の文化映画の名作として知られる作品に、「うなぎとり」という映画があった。戦時中の疎開の為、母と共に田舎へ行った少年が、地元の子供たちと共に川でウナギを採り、それを売りがてら海水浴に行くという、それだけの話。まさに、その素朴さに心洗われるといった中篇なのだが、ここは、まさに、あの映画の世界、つったって、わかる人、ほとんどいないわなあ。
或いは、映画にもなった藤子Aの漫画「少年時代」の世界というか。アジアの旅を表現する際に、よく使われる言葉に、“日本が失ってしまった光景”みたいなことがよく言われるが、ラオスに来て、まさに、それを見たという気がする。タイやマレーシアにも、日本には無い混沌や猥雑さは感じられたが、昔ながらの田舎の光景というのには(行先の問題とはいえ)出遭わなかった。しかし、ラオスは国そのものが田舎と言えるような国だ。もっとも、それは貧しさと背中合わせ(画像右:民家はこんな感じ)ということであり、単純に、これがよいよいとは言えないものがあるとは思うが。
宿で再びシャワーを浴びて夕食へ。シリパンニャというゲストハウスのレストランがインド料理だったので、そこへ行く。ダルカレー+ライスとロティ、チャイを頼むが味は今イチ。ま、西洋風カフェで食べるよりはマシだが。まだ8時なので、隣にあったネット・カフェへ。それにしても、この道中は危険だという話は何だったのだろう?ラオスは、タイの隣だから、やはり王様の国のように思えてしまうが、実は社会主義国。トゥクやバスの運転席には、よくゲバラのステッカーが貼られたりしている。その、社会主義に反対するゲリラが山間部にいて、バスを襲撃したりするという話は、現地在住の人も話していたことがあるらしい。でも、それは、エジプトのルクソール襲撃事件のように、数年前にあった話ということなのだろう。
ネット・カフェでは、例によって株価、ニュース、そして、他の人の旅行記等をチェック。トライポッドなる、ウエブ上でサイトを更新できるサービスがあるそうだ。それなら、今のように通信環境の確保に苦労する必要もないわけだ。ただ、これにしても、フロッピードライヴは必要。FTPでファイルをアップロードするにしろ、フロッピーは必要だなあ、日本から送ってもらおうか?などと考えていた矢先。しかし、今更、サイトのアドレスが変わるのも何だしなあ。同じ人のサイトで、海外でネット・カフェを使用する際の注意点が書かれてあったが、確かに、サイトの履歴等は消去しておくべきもので、考えてみれば、株の売買や、銀行の残高チェックとかをやっておいて、そのまんまにしてきてしまっていて、変な奴に悪用されないことを祈るのみ。これからは慎重にいかないと。日記を書きながら、ラオ・ラオをチビチビ。何だか、宿の近くでジモティがカラオケやってるのが気になるなあ。灯りに集まったヤモリがチチチと鳴いている・・・

・11月23日(木) ヴァン・ヴィエン2日目 洞窟探検とのんびり川下り

ヴァン・ヴィエンの市場
今日はトレッキングの日。早起きして朝の散歩をしたかったのだが、また起床は8時過ぎ。しかも、寝不足気味。昨晩、12時頃まで、向かいのジャパニーズ・ガールズの笑い声がケタケタ響いていたのと、宿が6時頃から、ガンガン、テレビの音を出していたせい。ともあれ、朝食を取りに、申し込み先のレストランに行くが、朝食はやってないと言う。何じゃそりゃ?コーヒーが飲みたいが、例によって白人ばかりの店は入る気がおきない。結局、市場でビーフン。これがアッサリ塩味でうまかった。明日もここに来よう。更に、市場で、コンデンス・ミルクがタップリ入ったラオ・コーヒーを飲む。結果として、正しきアジアの朝食ではないか。
宿に、連泊の旨告げて、9時半前に再びレストランへ。参加者らしい白人たちが、優雅に朝食を取っている。何それ?参加者は、そのベルギー人男1人、女2人と、スエーデン人男2人、女1人、つまり自分を含め7名。それぞれ当然、英語を話す。一応、英語でそれなりにコミュニケーションをとる。ベルギーは、ところにより、オランダ語、ドイツ語、フランス語を話す。スエーデンは、スエーデン語らしいが、男はやけに背が高い。今まで、白人、白人と一派一からげに言っていたが、みんなクレイジー・アメリカンかと思いきや、むしろ、アメリカ人は少数派で、ヨーロピアンが多いみたい。とりわけ、ラオスは、歴史柄、フランス人が多い。今までにも、ノルウエー人とかスイス人とかにも会ったし、ドイツ人も多い。
ともあれ、フォン氏が自ら運転するトゥクトゥクで走ること30分程度、まずは、お決まりの少数民族村。これもモン族だが、タイのモン族とはまた違うらしい。子供たちが、男女問わず素っ裸で川で泳いでいて、やたらに人懐こくて、目が細くなる。因みに、ヒルはいないんだそうな。眼前に広がる広大な風景も気持ちいい。次は、早速に洞窟。これが、結構ハードな道を行く。岩が多くて、ビーチサンダルは結構辛い。すりむきゃしないかとヒヤヒヤ。一応、破傷風の予防接種は受けたのだけど。こういうところを、日本の女の子たちみたいにキャーとも言わず、黙々と登って行く、白人パッカー・ガールズは、ある意味で偉いというか。洞窟の中も岩だらけで歩きにくい。最初の洞窟は、水が溜まっていてプール状になっていて、そこで泳ぐという。海水パンツを履いてきたが、ちと冷たいし、暗くて視界不明なので、あまりアチコチ泳ぐ気にはなれない。それにしても、洞窟の奥深いこと。最初にここを探索した人は偉いわなあ。この日は、かなり濡れるとのことなので、カメラはフィルムのものを持参。従いまして、残念ながら、画像はありません。
この二つだけでも、結構疲れた。今日は体調は悪くないのだが、何せ、足場が悪くて歩くのが辛い。1時近くになって、ようやく昼食。英語堪能のフォン氏が、黙々と、火を起こし、焼鳥を焼く。その一人二本のBBQと焼き飯、そして、焼きバナナというメニュー。食べ終わって一休みして2時半位だが、既に眠くなる。しかし、更に別の洞窟へ。洞窟の中に仏像が飾られている。更に奥に行くと、鍾乳洞状で、様々な光景が見られる。これまた水場があったりして、また足場が非常に悪い。何度、すっ転びそうになったことか。チェンマイの時よりも、難度高めの行程という感じ。折々、フォン氏が、植物の生態説明。触ると、葉っぱが丸々草とか、ますます「少年時代」の世界です。白人勢と、旅情報の交換もするが、中国国境にいったという人はなし。カンボジアはよいところだとか、ホーチミンからプノンペンは陸路で行って問題無し等の情報を得る。ルアン・パバンへのバスのゲリラ襲撃説は、本当に、過去のもののようだ。
4時位だが、この時点でもう終わったかの如き疲労。しかし、最後にまだ川下りが待っている。川下りと言っても、例の、でかい浮輪に捕まって下るやつだ。一旦、宿に戻り、全て荷物を置いてから集合。海パン、Tシャツ、ゴーグル姿で。ちと涼しいし、Tシャツの洗濯がてら、着たまま川に入る。これが、流れはてんで緩やかで、ほっておくと、一向に進まない。それはそれで気持ちいいのだが、ちと、スピードも欲しいので、チェンマイの筏漕ぎの要領でバシャバシャ漕ぐ。すると、僕がダントツでトップに踊り出て、後続を遥か後方に引き離す。1km弱位の行程だろうか。川には橋が2つあり、2つめが例の有料のやつ。結構、川を歩いて渡っている人も多く、この辺、貧しさ故もあるのかも知れない。他の連中は、一つ目の橋で引き上げて行くようだが、トップを行く僕は、一人、2つ目の橋まで到達する。川岸で眺める連中を尻目に、なかなかいい気分である。ところが、ビーサンを車の中に置いてきたので、集合場所のレストランまで裸足である。拷問のように足が痛くて、いい気持ちがすっかり冷めてしまった。
結局、戻ったのは、僕が一番最後だった。7時からラオ・ラオのサービスがあるので、また集まるという。宿に戻って、水シャワーで足を洗う。ついでに、Tシャツと海パンの洗濯。体が冷えたので、あまりビールを飲む気が起こらない。かなり腹が減ったので、7時までに食事を済ますことにする。体が温まるものが欲しかったので、やや白人寄りの店だが(と言っても、ここでの食事の選択肢は極めて少ない)、カレーがある店にする。野菜のココナツ・カレーとコーヒーで10000k。少し遅れて店へ行くと、ツアーの顔ぶれが、ラオ・ラオの回し飲みをしている。僕も駆けつけイッキをやらされる。どうも、それぞれのトリオも、途中で知り合って一緒に、のパターンの人たちらしい。やや内向的な感じのベルギー人の男は、早々に引き上げて行った。白人と言うと、みんなお喋りで酒飲んでだべってばかりいる、という、これまた一からげのイメージは、やはりあてはまらない例もいる。しばらくは、英語に耳をそばだててはいたが、他のベルギー人も加わり、話題がローカルになって行くし、別の場所に食事を取りに行くというので、僕もそこで引き上げることにする。ま、明日、ルアン・パバン行きのバスでまた会うのだろう。
ネット・カフェへ寄ったが、この日は3軒あるうちの2軒が、回線不良で、残る1軒が待ち状態。諦めて宿へ戻り、自分のラオ・ラオを飲りばがら日記。日中の疲れでよく眠れそうだ。 → パッカー人気の地 ルアン・パバンへ
東南アジア旅日記メニュー